仮性半陰陽者が自ら男子或は女子であると信じきつて結婚をなし、その性交不能なるがため離婚訴訟の提起せられることがある。ドールは次の如き一実例を報告した。それは二十八歳の人で夙に処女として教育せられ、或る男の許に嫁したが、二三日の後その夫は性交不能の理由の下に離婚訴訟を提起した。そこで本人を検査した処、その陰核は恰も小児の陰茎の如く、大陰唇には萎縮した睾丸と精系とがあり、直腸から内診するに、子宮、卵巣を触れず、顔貌は女子の如きも、その体格は強勁であり、乳房は扁平であつて、全く男性仮半陰陽なることが判つた。さりながらまた此の如き半陰陽者にして終生偕老の契りを全うした者もある。タルヂユの著書に記載したマリア・マルサノーは八十四歳の高齢を保ち永年その夫に連れ添うたが、死後之を解剖して男子たることが判明した。
また半陰陽者が姦淫猥褻の行為をなすととあるがため、之を検査して始めてその性別を確定し得られるやうなこともある。此の如き者の多くは男性仮半陰陽であつて、即ちその実は男子たるにも拘はらず、女子の生活を営み、偶々他の婦女を姦淫することあるがために法廷の審判を煩はすに至るのである。マルチニは四十七歳の産婆が屡々妙齢の婦人を犯した奇異の一例を報告したが、之に依れば此の産婆の陰核は甚だ大きく、大陰唇の発育弱く、大陰唇中には能く還納し得べき睾丸と副睾丸とを触れ、男性仮半陰陽なることを明かにした。またエンメルトはコツペンハーゲンに於ける児童救養所長ウイルヘルム・ミヨルレルなる一婦人が、その狎戯した一児童を殺害したがため死刑の宣告を受けたが、之を検査して男子たることを認めた。
また相続権或は選挙権の争により、偶然半陰陽者を検診する機会に遭遇することがある。パーリーは選挙投票権に関する民事訴訟に於て、男子の生活をなした者の実際女子であつたことを確定した一例を記述した。それは二十三歳の人間で、陰毛は通常の如く陰阜に密生し、陰茎は二仙米半の長さを有し、陰嚢の発育は弱きも、右側の陰嚢内に睾丸を触れたので、疑もなく男子と鑑定せられたのであるが、選挙日には再びその投票権に紛争が起つたがため、バーリーはその同僚と共に再び此の人間を検査した処、同僚も男子であるとの鑑定意見に賛成した。然るに五六日をてパーリーは此の男が毎月規則正しく経血を漏らすと云ふことを耳にしたので、更に第三回の検査を行つた処、その乳房はよく発育し、陰嚢中に触れたと思つた睾丸は鼠蹊管に下降した卵巣なることが明かになつて、始めて女子たることを鑑定した。
半陰陽者を検査してその性別を定めることは、実際上容易のやうであるが、併しその実は困難なることが多い。尤も其の生殖腺を証明することが出来たならば直ちに其の男女いづれなるやを譯別し得られるが、若し男性仮半陰陽にしてその睾丸が陰嚢内に降らずして依然腹腔内に留り、或は陰嚢内に降つても完全なる発育をなさずして萎縮することあらば、之を触知することが出来ず、また女性仮半陰陽にして卵巣が転位して大陰唇内に降下する時は、睾丸と其の外観を同じうするから、性を確定することが容易でない。されど其の本人の思春期に至れば、男子ならば精液を分泌し、女子ならば月経を排出するやうになるから、之によつて男女いづれなるかを識別することが出来るにしても、併しこれまた予想通りに行かない。何となれば、半陰陽者に於ては屡々睾丸が萎縮し、或は射精管が欠乏し、或は盲端を以て終ることがあつて、精液の分泌排泄を来さないことがあるからである。されば精液を証明せざればとて直ちに男子に非ずと速定することは出来ない。月経に至つては更に鑑定上の価値に乏しく、オレクヒオ及びホフマンの実験例に徴しても明かである如く、女性仮半陰陽者であつても、毫も月経を通じない者もあり、またドールン及びレオポルド等の実験した如くに、男性仮半陰陽でありながら、月経様の週期的出血を呈するやうな事実もあるから、たとひ週期的出血を認めたとて、直ちに女子と断定し難く、また之無ければとて男子と決定することも出来ない。
人の知る如く男子は骨骼筋肉の発達逞しく且つ鬚髯を生じ、女子は繊弱婉麗にして皮下脂肪に富み、鬚髯を生じないが、併し世の中には明かに女性でありなから男子の如き相貌体質を具へ、且つ鼻下に多少の鬚髭を発生してゐる所謂男性的女子もある。ホフマンの実験した一女性仮半陰陽者は、その筋骨能く発育し鼻下に長鬚を生じて、外観上全く男子と異る所なく馭者として生活した。さりながら男女間に於て多少著しい差異を見るものは陰毛の発生状態、骨盤の広狭及び乳房の大小である。女子に於ては其の陰毛はただ陰阜に限局して冠状をなしてゐるが、男子に於ては更に下腹部に迄蔓延して臍部に達し三角形を作ってゐる。カスペルの如きは陰毛の発生状態の差異を以て性別の鑑定に須要なる一徴候と認めた程である。併しまた之にも往々破格あることを銘記せねばならない。シユルツエーの説に依れば、百人の女子の中、四人は男子に於けるが如くに臍部に迄陰毛発生し、また百四十人の男子中三十四人は女子の如く単に陰阜に限局したと云ふことであるから、陰毛の発生状態もまた性別の鑑定上重要の価値あるもので無い。また喉頭や音声の差異も決して性別の鑑定に重きを置くに足らない。女子にして往々喉頭が前方に突出し、その音声粗濁の調を帯びる者もあれば、また男子にして喉頭の隆起著しからず、玲瓏玉を転ずるが如き音声を発する者もある。骨盤の広狭もまた同様であつて、シユレーデルの説いた如く、女子の骨盤が男子に於けるよりも広潤であるのは、畢竟小骨盤の内に子宮、輸卵管、卵巣を容れてゐるからで、若し女子の体質弱く、その内部生殖機関の発育不完全ならば骨盤もまた小である。況んやホフマン等の見た女性仮半陰陽者にして男子の如き骨盤を有する者があり、またドールン、マルチニー、レオポルド等の見た女性仮半陰陽者にして女性骨盤を有するが如き実例もある。若しそれ乳房に至つては、ウイルヒヨウの如きは之に多少の鑑定上り価値を置き、女性仮半陰陽の多数は一般にその乳房の大なることを云つたが、実際上之に反対の例証も尠く無い。
精神状態、就中、性欲の傾向もまた性別を確定する尺度となすことは出来ない。蓋し男女の性質意向等は主として教育、境遇等に因るものであつて、性其物の影響はたゞ間接的作用あるに過ぎない。されば幼時から女子として教養された男性仮半陰陽者は女子の業を執り、また女子の挙動をなすものである。また性欲は必ずしも生殖腺の存在発育と必然の関係なく、先天的に生殖腺の萎縮欠乏した者に於ては往々性欲の存することがある。生来子宮及び卵巣なき女性にして性欲を有し、加之その強盛にして手淫に耽り、或は荒淫を恣にするが如き者が世にあることは、パールス、コルマン等の報告に徴しても明かである。また男性仮半陰陽者は其の分娩後外陰部の状態に依つて多くは女子と誤認せられ、女子としての教育を受けるが故に、幼時からの因習は思春期以後に至つても猶ほ依然として女子であると自信し遂に他に嫁する者もある。されば此の如き男にして終生人の妻となつて身を全うしたやうな実例もある。またカスペルの記したロジナ・ギヨツトリツヒの如き男性仮半陰陽者は、時としては男子として時としては女子として性交を行つたさうである。またクレクシオの実験した一女性仮半陰陽者は、男子として正常の性交を行ひ二回淋病に伝染したと云ひ、またトルツアルの報告した男性仮半陰陽者は、女子として結婚し、嫉妬の情が深かつた。
さりながら仮性半陰陽者が思春期乃至その以後に至つて、その本性を自然の発現することも稀でない。即ち男子として教養された女性仮半陰陽者、或は女子として教養された男性仮半陰陽者が、思春期の頃に至つて始めて其の外陰部の発育完全となり、固有の形態を呈して来る。往古の雑書随筆に男子が女子に化し、女子が男子に変じたといふ所謂変生女子、変生男子なるものは即ちこれである。