一(男か女か、其の性の疑はしい人間のあることは)

男か女か、其の性の疑はしい人間のあることは夙に太古より知られてるた。人若し『創世記』の記事を仮に信ずるとしたならば、人間の祖先たるアダムは、同時に男女の両性を兼有せる最初の半陰陽者と云ふべきものである。埃及に於ては、月の神は男女の両性を一身に兼具せるものであり、希臘に於てはヘルメスとアフロデイティとの間に生れたヘルマフロヂツスも男女両性を兼有せるものであつた。医語に半陰陽を「ヘルマフロデイテイムス」 Hermapbroditismus と云ふのは実に希臘の神話から起つたのである。而して希臘に於ては既に太古時代より半陰陽の人間が知られてゐたことは、医聖ヒツポクラテースの遺書中にも記録されて居るのを見ても明かであるが、啻に希臘ばかりでなく、埃及、印度に於ても夙に之を知つてゐた。

中世紀時代の頃は、半陰陽を以て神罰のために起つた不祥不吉のものなりと思ひ、当時のあらゆる神学者は不幸なる半陰陽者を世界より除去すべきことを要求した。十七世紀に及んでも猶ほ此様な考へが存続してゐた。モンテイヌの記した処に依れば、女として結婚した一半陰陽者は、その生殖部を濫用したとの廉で死刑に処せられたことがある。その他、彼は尼院に入つた一僧尼の半陰陽者であつたことを記したことがあり、またモンタヌスは女子として結婚した半陰陽者が、男女二人の子供を生みながら、一方には其の家の下婢を姦して之を姙孕せしめたことを記述した。猶ほ往古の記録中には、可なり多く半陰陽に関する奇異の報告が散見する。

近世の知見に依れば、半陰陽は決して稀有なもので無く、比較的多く認められるもので、例へばブレスラウの婦人科学者フリツチユの云つた如く、平均各年少くとも一同は其の生児の性の不明なるがために診察を請ひに来る両親のある程である。