二(此の如く刑罰の目的と、一夫多妻の俗より閨豎を宮中に置く)

此の如く刑罰の目的と、一夫多妻の俗より閨豎を宮中に置く制度とから起つた去勢の風が、羅馬に入つてよりは更に其の方面を転じて基督教に入り、肉欲を断ち独身を尊ぶ基督教徒間に行はるゝやうになつた。

肉に死して霊に生きるを主眼とする原始基督教の思想は、今日猶ほ世に弘まれる羅馬教、希臘教に於て明かに之を認むる事が出来る。殊にその自然の本能的要求を抑制禁圧して、性欲の充実と満足とを罪悪視する極端なる禁欲主義の精神を押し詰むれば、去勢を実行する者を踵出せしめたのも蓋し当然の結果と看做さねばならない。既に基督の在世時代から天国を求めんがために去勢した者のあつたことは、『馬太伝』第十九章に『天国のために自らなれる寺人あり之を受け納ることを得るものは受け納るべし』とあるを見ても明かである。『寺人』とは即ち睾丸を摘除した者の謂ひで、独逸訳の「バイブル」には Etliche Verscnitten とあるが、此の一節に徴しても天国を求むるものが去勢した場合には、之を是認したことが判る。而して基督の使徒たるパウロの如きは、『哥林多前書』第七章に於て、『男は女に触れざるを善しとす』といひ、ただ『淫行を免れんがために人各々その妻を有ち、女も各々其の夫を有つべし』と説いた程であるから、原始基督教の行はれた時代に於ては、その教徒中の欲徒のため自ら進んで睾丸を除去しまたは強迫的に他人に対して之を行ふ者が多かつた。太法師オリギネスは自ら去勢を実行し、その法弟たるヴアレリウスは始めて『去勢宗』 Sekte der Kastriesten を開いた。所謂『ウアレリウス』派と称するものがこれである。

此の如くにして去勢者が続々踵出したので、遂に羅馬の皇帝コンスタンチン、ヂユスチマンの如きは勅令を以て他人の睾丸を摘除する者を厳罰し、殺人罪に間ふに至つた。併し熱烈なる基督教信徒が自ら去勢か行ふことは公認せられ地方長官に去勢の願書を提出して其の許可を受くればその目的を達することが出来たのである。