三(湯屋即ち銭湯は単に沐浴するだけであるが、風呂屋では)

湯屋即ち銭湯は単に沐浴するだけであるが、風呂屋では、同時に垢をかいた。『備前老人物語』に『風呂屋の竿に湯かたびら(中略)風呂をたく時、男二人、板の間にて垢をかく』。風呂屋には湯女と云って浴客の垢をかき、髪を梳るものがあったり風呂屋は前記の如く風呂に湯を兼ねた者であるが、併し地方には純粋の風呂もあった。所謂伊勢風呂の如きはその好例である。『骨董集』に記する処に依るに、伊勢風呂は空風呂(即ち純粋の蒸気浴)であって、『垢をかく者風呂に入る者の身上に息を吹きかけて垢をかくなり。しかすれば息を吹きかけたる処にうるほひ出でゝ垢よく落つるなり。口にて拍子を取り息を吹きかけて垢をかくに上手あり下手ありて興あることなり。その故に垢をかく者を称へて風呂吹と云ふ』とある、『甲陽軍鑑』に伊勢風呂のことを記して『伊勢の国衆は熱風呂を好みて能く吹き申さるゝに付て上中下ともに熱風呂をすく云々』とあるのは、伊勢にては高熱の蒸気浴を好み、能く垢を掻き落す風習のあつたことを物語るものである。そして『甲陽軍鑑』の天文十四年の条下に『風呂はいづれの国に候へども云々』とあるを見ると、江戸時代以前の風呂は多くは純粋の蒸気浴であつたらしい。今日に於ても瀬戸内海の沿岸には盛んにこれが行はれ、石或は室内を火にて焼き、それに水を注いで発生した蒸気に浴し、汗出で垢浮びたるを冷水にて洗ひ清める。(石風呂或は空風呂)

前記の如く垢をかき落すのは尊ら風呂即ち所謂蒸風呂ですることで普通の湯屋はせぬことである。それ故、風呂にては男女共に褌をつけて入浴する風習になつてゐた『しかた咄に『下帯ほど、ついえな、要らぬものはない。かくことも難づかしい。されども風呂に入る時は下帯をかゝねばならぬ』と見え、又た『備前老人物語』にも『風呂屋の竿に湯かたびら、わり下帯数多かけて置き』とあるに徴しても風呂に入るには下帯即ち褌をつけたことが明かである。『好色一代男』にある兵庫の風呂屋の挿図を見ても、浴客はいづれも褌をつけて湯女に背の垢をかゝせてゐる。これに反して銭湯即ち湯屋では単に沐浴するのみであるから着褌するの要はない。今日下層社会の男女の入浴することを見ても、庭前に盥や桶を据え、真つ裸で沐浴するやうな無雑法な有様から考へても、湯屋に入るものがいづれも褌をかけたとは思はれない。『みをつくし』に、延宝の頃、木村屋抱への越中といふ遊女がある時揚屋の自分の相手の客が下帯を脱して入らんとした時、その姿が見苦しいとて俄かに思ひつき、自分の湯もじの緋ぢりめんの二布を解き放し、それに紐をつけて与へたので、この風を越中褌といふとあるのを見ても、湯なればこそ風呂褌をせずに入らんとしたのを、斯くも取り計った女の床しい情が当時の花街の佳話に上ったのであらう。