平安朝時代に入ても円顔豊頬が美人の標準の一となつてゐた『源氏物語』『栄花物語』『紫式部日記』等にも『つぶつぶと肥えて美し』『ふくらかなる人の顔、いとこまやかに匂ひをかしげなり』とか『うつくしげに、つぶつぶと肥えたるが』とか『色うるはしう、ほゝづきを吹き膨らめて据えたらんやうに』とか云ふやうな。文句があるのを見ると、矢張りふつくりとした脂肪分の多いのを美人の資格の一としてゐたことが分かる。
しかし平安朝時代に入てからは、奈良朝時代の万葉歌人が薔薇のやうに生気のこもつた淡紅色の顔面美を賞讃したのに反して顔色の雪のやうに白く鮮やかなのを美人型の一と認めるやうに変つてきた。その証拠には此時代に入てより種々の物語や歌書には『さにづらう』『くれなゐ匂ふ』といふやうな万葉集時代の形容語の見えぬ代りに『白う美しき』とか『白うあでやかに』とか『白う清らかに』と云ふが如き文句が到る所に見出される。つまり色の白い丸顔の下ぶくれのした愛嬌のある顔が美人型と看做されたので、堀川天皇の御宇に藤原降能の書いた『源氏物語絵巻』などを見てもいづれも皆お多福型の豊頬円顔の宮嬪達が描写されてある。この外に美人の資格に必須なものとせられたのは頭髪の長いことであった。檀林皇后の如きは此の時代の代表的美人の一人であるが、それは緑りなす黒髪が丈余もあつて地を洩いたと云ふことがその美人たる主要の一資格であつたのである。『紫式部日記』を見ても、美人のことを書くに嘗ては頭髪の有様に特別の注意が払はれてある。例へば『髪、たけに三寸ばかり余りたる』とか『髪の筋こまやかに清らかにて、おひさがりの末より一尺詐り余り玉ふ』とか『髪もいみじく美しうて』とか、殆どうるさい迄に頭髪の長いこと美しいことを書き立てゝある。又『源氏物語』に徴するも。末摘花といへる女は色が蒼白く顔の非常に長い上にも鼻の尖の赤く爛れた醜い女であつたが、唯だ頭髪の長く美しいので光源氏の愛欲を惹いた。
此の如く特に頭髪の長いことが美人の一資格として欠くべからざる者となつたのは、此時代より上流社会の女子に蟄居の風が起つて他人に顔を見られるのを恥とし、家にありては几帳を垂れ、外出する時には牛車の簾を下ろし、なほ万一の場合を慮つて桧扇を用意し、思はぬ場所で男子に逢つたりすると、之を以てその顔を隠くすやうにしたので、自然の勢として容貌以外のものが尚ばれ、頭髪の長く美しいのが美人の資格の一となったのである。要するに平安朝時代では色の白い、頭髪の長い丸顔の、デップリと肥えた女が美人型と看做されてゐたので、顔の長い痩せ形の女を喜ばなかったのである。