年齢に因る愛の対象の変移

色見えで、うつらふものは世の中の人の心の花にぞありける

人の思想感情は決して固定的のものでなく、時間、場所、地位等を異にするに従つて変移するものである。その中にも、時間、換言すれば年齢が人心を変化さすことは誰も体験する処で、孔聖が三十にして立ち、四十にして惑はず、五十にして人命を知り、六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する処に従つて矩を越えずと云はれたものも、聖人自身の年齢に伴ふ思想の変化を物語りたものである。壮年時代から非常の厭世家で三十一歳の時有名なる厭世論を著はした独逸の哲学者シヨぺンハウエルも、老年になりてよりはその思想の楽天的色彩を帯びるやうになり、七十歳の頃、印度ウパニシヤツトの説に基いて人間は百歳までも生命を保ち得べきことを認め、最早や感情的厭世観を抱かず、その死亡する前にも尚二十年も生き長らへ得べきことを思つてゐた。有名なる独逸の精神神経病学者メピウスは厭世観は青年時代に主唱せらるが、老人になると鬱憂病にかゝらざる限りは決して厭世観を抱くことなく楽天家になると云つた。此の如く人間の思想感情が年齢によつて変化するものである以上は、愛の対象も亦た年齢の如何によって移り変るのに何の不思議もない筈である。

私は仏国の微底的享楽王ルイ第十四世の愛欲生活に就いて、年齢が愛の対象に及ぼす影響を考察してみやう。

ルイ第十四世の愛欲生活は既に十四五歳の頃から初つた。若い血潮の漲った青春時代の王は唯純真可憐なる少女の美に愛着を有つてゐた。王の初恋の女は宰相マザランの姪に当る優美高雅な少女オリンピヤであった。しかし天性多情なる王は唯一人の異性だけに愛情を傾注する真剣味を有つてゐなかった。彼の眼はいつしか美貌なるが上にも文芸趣味にも深い十五歳の少女マリーの姿に注がれ非常なる執着を感じた。しかし、王の母后のために宮廷から退けられたマリーの清い美しい姿が王の視線より消えて了つ後は最早や彼女のことを忘れて、西班牙の王女マリヤ、テレサといへる麗姫を娶り盛大なる結婚式を挙げた。当時王は二十二歳であつた。しかし移り気で多情なる王は又もや王弟の妃アンリエツトの侍女ルイズの優雅な風姿に憧れ、その涼しい眼や、金絲のやうな頭髪にウツトリとした。しかし、王妃やアンリエツトによってルイズに対する恋は妨げられ、彼女は宮廷より引下らるゝことゝなつた。此如く王の愛欲に花より花を追ふ胡蝶のやうに、オリンピア、マリー、ルイズと移り変つたが、併し是等はいづれも清らかな優さしい少女であつた。青春時代の王は無邪気な純真の処女美に興味を有つてゐたのである。

しかるに三十歳近くになってからは王の愛欲的趣味は一変して可憐温籍なる処女に対する恋愛生活が如何にも単調平凡なるに満足することが出来なくなつてきた。随つて自己の性的享楽に迎合してくれる呈媚弄愛の蓮葉な美人に新たな愛着をもつやうになつた。その相手として見出されたのが同じ享楽主義者のモンテスパン夫人といヘる妖艶の女性であつた。この女はモンテスパン侯爵の愛妻であつたが、愛欲趣味の一変して巧に媚術を弄する女性に興味を有ち初めた王は、彼女の媚態嬌姿に魅せられ、モンテスパン侯の眼か忍んで深い中となり、遂には侯をその領地に幽閉して彼女を寵姫とし、宮廷に引入れて歓楽の限りをつくした。彼女の豊賦なる肉体、巧緻なる媚術が如何ばかり王を歓喜せしめ惑溺せしめたかは天性極めて移り気な王をして十四年間の長きに亘り彼女一人のみに満腔の愛を傾注せしめたかを見ても分る。

しかし王が四十歳に近き年頃となつてからは、モンテスパン夫人との濃烈なる愛、華やかな恋に飽きてきた。恋愛趣味が復たもや一変したのである。妖艶放縦なる女性よりも質実醇朴なる女性の方が慕はしくなつてきたのである。それに選ばれたのが、マンテノン夫人であつた。この女は元と詩人スカーロンの妻で、フランソワズと云へる貞淑なる婦人であったが、夫に死別した後、前記モンテスパン夫人と王との間に生れた王子の保姆に雇れて宮廷に入ったものである。美貌なるが上にも質実従順なる彼女の性格は恋愛趣味の復た変化した王の心を動かした。モンテスパン夫人の織手に抱かれてゐた王は次第にマンテノン夫人に熱愛を注ぐやうになり、その眼にはモンスパン夫人の姿が映じなくなつた。これがため十四年間も王を虜にして栄華の限りをつくし歓楽を擅にした彼女も冷やかな淋しい尼院に隠遁せざるを得ざるに至つた。かくしてマンテノン夫人は第二の寵妃となつた。しかし、彼女は華やかな歓楽に憂き身をやつすが如き女でなく、家庭味に富んだ良妻賢母型の女であつた。王が彼女を寵幸してより十年を経過した時、王妃のマリヤ、テレサが永眠したので、王は一層彼女に熟愛を注ぎ、その五十歳になった時、公然結婦式を挙げて王妃に引直した。王は彼女を愛の相手とすることによつて静穏平淡なる家庭的趣味に充ちた恋に大なる興味を感じ、七十七歳で世を去るまで彼女に愛情を傾注した。

青春時代には純真無邪気なる少女、壮年時代には巧甘令色の嬌婦、老境に入つてから、質実温厚なる貞婦を要求せしルイ十四世の恋愛生活の変移は蓋し多くの男子に共通する性的変異の要求であらう。英国の碩学ベーコンが婦人の一生を述べて『少女時代には男子の愛人、壮年時代には男子の友人、老年時代には看護人』と云つたのも思ふに男子がその年齢に伴ふ女性要求の変移を語るものである。