アウスブルグ市の刺嬢漢パルトレーは売酒店の主人で、その外貌は快活であり、且つ恥づかしがりの性質であるが、異性に接するを嫌忌し、唯だ未婚の処女を切りつけて之を傷つけるのが何より気愉快で、之によつて、その性欲を満足した。既に十四歳の頃より美しい妙齢の女を小刀にて切ることの愉快さを想像し、その常に夢に見るものは自分の切りつけた処女の姿であつた。此の空想を始めて実行したのは十九歳の時で、その際、絶大の快感をおぼえたがため、這般の衝動は次第に強烈となり、唯だ妙齢の美人のみを選んで兇行を演じた。その場合には予じめ処女であるか否かを問ひ、若し処女であると云ふ答を得ると、甚しく愉快を感じて直ちに切りつけた。しかし兇行の後には倦怠違和を感じ且つ良心に責められた。三十一歳になるまで兇行を持続し、いつも切創を与へてゐたが、しかし生命に危険な程度にまでは傷つけなかつた。その後、彼はその凶行手段を改め唯だ処女の腕或は頸を圧迫することのみによりて性欲を満足すべく試みたが、その目的を達しなかつたので、今度は鞘のまゝで剌そうとしたしたけれども、これ亦た愉快を感ずることが出来なかつた。そこで遂に鋭利なる白刄を閃して真に処女を剌せしに、名状すべからざる快味を感じ、ことにその処女が鮮血に染み、背痛を訴ふる状を見ると、愉快極りなく、殆ど前後をおぼえざる程であつた。三十七歳の時に至り遂に兇行の現場を押へられて引致せられた。その家宅を捜索せしに、多数の短刀、仕込杖、小刀の類が発見された。彼は此等の兇器を一見しても、忽ち性的興奮を来たしたと云ふ。彼は処女を傷つけること大約五十人、いづれも良家庭の若い処女であつた。
千八百二十一年の五旬祭の日、ボーツエン市の市民は、トリエントに通ずる街路に於て二人の処女が剌されたこと、その犯人が帝室附の猟兵であると云ふ新聞の記事を見て恐怖の念に襲はれた。その前年にも既にインスブルツクにて、多くの処女の刺されたことがあつた。犯人はいつも妙齢の美人のみを傷つけた。その中にも最初に刺されたのは、ステフアニーといへる二十歳の美しい処女で、その官憲に告げた処に依れば、犯人は下級の猟兵で、体格の小さい、顔色の暗褐な、髮鬚の黒い、容貌の獰猛な人間である。或日午後六時過ぎ、彼女が街路を歩いてゐると、彼は近づいてきて『嬢さん、何処へ行くんですか、御一緒に散歩しようじやありませんか』と呼びかけたが彼女は少しも意に留めずに二三歩許り行き過ぎると。彼は突然飛びかゝつて道路の側に立てる棘の墻に向つて彼女を投げつけ、小刀を閃めかして三回も下腹部を剌した。彼女は両手を差し伸ばして、抵抗したので幸ひに腹部の刺傷を免れたが、左右の手指七本に切創を受けた。犯人は鮮血の流れ出づるのを見て満足を感じたのとまた彼女の大声を立てゝ救ひを求めたのとで直ちに遁走した。
同夜七時近き頃、ヤコブ街の近傍にて、ドロテアといへる二十三歳の美人が同じく猟兵のために傷つけられた。その語る処に依れば、彼は不意に彼女の側に近づき来り、小刀を取り出して陰部を刺したので、彼女はその場で仰臥けに倒れた。犯人はその前方数歩許りの処に佇みながら、その手にせる小刀より滴り落つる鮮血を暫らく凝視してゐたが、やがて足早にその場を走つて姿を隠した。彼女はそこに通り合せた一農夫に救はれて失血死の危険を免るゝことは出来たが、併しその受けた剌傷は一ツオール半許りの深さであつた。
これより先き、耶蘇復活祭前の日曜日犯人より傷つけられた給仕女のアーデルハイドは六月二十五日警察に訴へ出た。その言に依ると、彼女が日没前、ドルフバツハの方へ赴く途上に於て、猟兵に襲はれて何等の言葉も掛けられずに突然下腹部を刺され、その創の全治する迄には十二日間を要した。
逮捕された猟兵は初めのうちは犯行を否定したが、遂には隠くし切れずに逐一それを自白した。彼はこれ迄七人の処女を傷つけた。その中三人は千八百二十年の八月三十日及び三十一日、インスブルツクに於て、他の一人は晩秋の頃、ロヴエレドに於て剌された。給仕女のアーデルハイドは千八百二十一年の耶蘇復活祭の前日曜日に、ステフアニー及びドロテレアの両処女は同年の五旬祭の日に傷つけられた。血に滲んだ犯人の兇器は他の猟兵の背嚢中に発見された。兇行の動機が性感の満足にあつたことは固より言ふ迄もない。
彼は当時、三十一歳であつた。青春時代以来、自涜に耽り、少女を弄し売笑婦に戯むれ荒淫を恣にしたが、年を経るに従つて花の如き嬋娟たる処女の下腹部を刺し、その欲情を充たさんとするの念が燃ゆるが如くに起つてきて遂に之を実行するに至つた。そして好んで陰部を刺し、白刄より碧血の流れ滴るさまを見て殆ど堪ゆべからざる愉快を感じた。彼は激怒し易き性質で人に接するを嫌ひ、その惨酷なる行為に対して亳も悔ゆることなく、また恥づることも無かつた。