途上に遭遇せる未知の婦女を襲うて傷つけ、快感をおぼゆる処のザヂスト、所謂刺嬢漢 Madchenstecher なるものは古今東西を通じて尠く無いが、茲にはその顕著なる実例を二三引証してみよう。
千九百年の八月一日より翌年三月の末に至る迄、ルードウイツヒ港の土堤とムンドハイムとの間に於ける場所及び往来の尠い市街に、何者とも知れず不意にあらはれて、往来の婦女を襲ひ、小刀或はその他の鋭器にて下体に重傷を負はせ、ルードウイツヒ港の婦人社会に一大恐怖を感ぜしめた傷害沙汰が引続いて行はれた。しかも、その犯人は神出鬼没、忽ち現はれ忽ち消え、巧みにその跡を晦らますので、悪魔の所為では無いかと恐れ慄く者も多かつた。傷つけられた妙齢の処女の中には下腹部と大腿とに三ヶ処の刺傷を負ふた者もあったが、しかし此の如き傷害沙汰はまだ軽るい方で、十二歳の娘と十八歳の工女とが真つ裸にされて惨酷にもメチャメチャに傷つけられ、剰つさへ肝臓をも切り取られた屍骸がライン河に浮び上つた時には、その残忍非道の甚しさに市民を戦慄せしめた。処が或日のこと、両親につれられて歩いてゐた女児が暴風のために帽子が飛び去つたので、その跡を追ひ往きしに、両親は直ぐ家に帰るだらうと思つて、別に顧みもせずにそのまゝ帰宅した。然るにいつ迄待つても子供は帰らない。やがて、その無残に傷を負ふた屍骸が、隅々川岸のあたりに発見せられた。そこで警官はその辺の場所を捜索した処が、其処に置かれてある鉄管の内にいつも寝てゐた怪しの男を見つけ出したので、直ちに拘引して鞫問した。なほ、此の男は他に一人の婦人の殺害せられた場所で沐浴したことのあつた事実も分つたので、厳びしく吟味してみたが、その結果は全く証拠不充分であつたがため已むなく放免しなければならなかつた。
千九百〇一年三月の末の夜、人通りの少い街路を歩いてゐた一人の処女が、プロテスタント教会の後に差しかゝつた折、不意に男が現はれ『嫌疑の筋があるから、交番所へ来い』と言つて処女を引き捕へ、交番所らしい場所に連れこんで凌辱したことがあつた。女の告訴によりて、犯人の人相が、当時凶行者と看做されてゐた畜場番人のダミアンといふ男に類似してゐたので、愈々此奴に相違ないと警官は直ちにダミアンを逮捕した。然るに上記の犯行があつてから数日の後、またもや何者とも判からぬ怪しの男が現はれて往来の婦人を傷つけたことが起つたので、烱眼なる警察署長は、真の犯人を探し出すべく、部下の警官の中から年の若い美男子を選び出して女装せしめ、特に往来のさびしい街衝を散歩せしめた処が、果してこの女装の警官に襲ひかゝつて凶器を閃めかした男が現はれたので、忽ち之を捕縛することが出来た。此の男は名をルードウイツヒ・グラーフといへる工夫で、意外にも世間に評判の善い、職業に熱心な謙遜な人間であつた。
然るにその身体を検査せしに、婦人の股衣と女靴を有つて居り、また住家内には女の洗濯衣が多数に発見されたので、「ザヂスムス」「マソヒスムス」及び「フエチシスムス」の三種の変態性欲を兼有せる人間であることが判つた。最初のうちは、グラーフはダミアンに罪をぬすくりつけてゐたが遂にはその凶行を逐一白状した。警察の調査に依るに、千九百年の八月より翌年の四月に亘りて十回まで凶行を演じその毒手にかゝつた者は、女工のマリア・シーゲル。アドリーンネマデス。カロリーネ・ガイベルゲル。エヴア・ゴイベル。ヨハンナ・ピツテル。ヨハンナ・シユミツトベルゲル。寡婦のダツケメ。売り子のソフイー・ヘフレル。労働者カール・ホルンベルゲルであって、その傷はいづれも重く、治療に可なり多くの時日を要した。