四(平安朝時代に『傀儡子(くぐつ)と称せられて)

平安朝時代に『傀儡子(くぐつ)と称せられて、山野の陸駅を遍歴し旅人に情をひさいだ売笑婦は、前記浮かれ女の面影を伝へたもので、大江匡房の『傀儡子記』に、『女施レ朱伝レ粉、唱歌淫楽以求二妖媚一父母夫知不レ誠、逢二行人旅客一、不レ嫌二一宵之佳会一』とあるが如く、彼等は顔貌に化粧を施し、また歌をうたつて行人旅客に色を売つたものである。此の如く田舎の地を遍歴して、旅人を顧客とした浮浪の売笑婦こそ、我国に於ける売笑婦の起源と看做すべきものであらう。

然るに社会の進み、交通の頻繁となるに伴れて、旅船の盛んに往復する水駅に定住する売笑婦が現はれるやうになつた。平安朝時代に『遊女』と称せられるものは即ち河陽津港に定住した売笑婦の謂で、近畿では江口、神崎、橋本、室、蟹島等の要津に住み、扁舟に棹して旅船に押し寄せ、色を売つたものである。大江匡房の『遊女記』に、『媚女成レ群、棹二扁舟一着二旅船一、以薦二枕席一』とある。

されば平安朝時代には、売笑婦に二種あつて、一は陸駅を遍歴して行人に色を売る傀儡子と、一は水駅に定住して旅船の乗客を顧客とする遊女である。

しかし、文化の進み、旅行者の多くなるにつれて、地方の駅路にも旅人を容れる宿舎が出来るやうになり、そこに売笑婦を置くことゝなつた。これが平安朝時代の末葉に近い頃から現はれた『長者』『長者の娘』なるもので、それ迄は定住地なしに陸駅を遍歴した傀儡子も、一定の地に居住する長者、長者の娘となつた。長者とは旅宿に抱へる売笑婦の頭目を云ひ、長者の娘とはその配下の売笑婦である。