私共の見る所を以てすれば、我国に職業的売笑婦なる『遊行女婦』の起つた原因は、上古時代から平安朝時代にかけて旅行が頗る困難で、宿舎の設備がなかつたがため、樹下石上に野宿するか、或は仮り庵を結んで、寂寞たる旅寝の枕につかねばならぬ淋しさ、悲しさを慰籍せんとする需要と供給とから起つたのである。
今日の文明の世とは全く違つて、今から千有余年前の昔には、旅に出でゝは飯を盛る椀もなく、巳むを得ず椎の葉に盛つて食つた程で、『家にあれば笥にもる飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る』といふ歌があり、また宿駅のあるにしても、それは官用旅行の馬や人夫を出す位のもので、旅舎と云ふものは無く、旅人は枕席から飲食のものに至る迄予じめ用意して持つて出たもので、客舎がないから、夜は樹蔭を宿とし草を枕としたものである。処が貴人になると従者が多いので、夜寝る時に仮りに小屋を作つてその中に夜を明かした。それを仮り庵と云つた。『わがせこは仮庵つくらす萱なくば小松が下の草をからさね』といふ歌もあるが如く、萱や苫を編んで小屋をつくり、雨露を防いだものである。此の如く荒涼寂寞たる草枕に一夜を明かさねばならぬ旅人が、故郷を思ひ妻を恋ふのは人情の自然で『草枕旅にしあればかりごもの乱れて妹を恋ひぬ日はなし』といふ歌は、旅人の実情の表白である。
されば此のやうな旅寝のさびしさ悲しさを慰めるがためには、一夜の妻とすべき売笑婦が必要で、この要求に応ぜんがために、『遊行女婦』が地方に現はれるやうになつたのである。