上古時代から平安朝時代までは、男女間の関係に極めて自由であつた。但し女子に於ては一旦定まつた夫を有つた以上は、一夫一婦を守る風習が行はれてゐたが、男子には一夫多妻が公然許され、従つて異性との関係も自由無拘束であつた。春秋二季を卜して行はれた歌垣には、未婚の女ばかりか人妻も之に加はつて、自由恋愛を恣にしたやうな風習さへあつた。奈良朝時代に於ても、『万葉集』を見て明かなるが如く、男も女も共に奔放なる感情を基調とした恋歌を唱和し、本能の満足、愛の亨楽に憂き身をやつした。平安朝時代に入つてからは、女子に蟄居の風が起つて、自由に異性と接触しないやうになつたが、恋歌のやり取りをして愛する相手の心を動かし、之によりて接近の機会を作つた。
此の如く自由恋愛の一般に汎く行はれて、性欲の満足、愛の亨楽に不自由を感じなかつたにも拘はらず、一方に職業的売笑婦が現出して、既に奈良朝時代の初期から、異性に媚を売る『遊行女婦』なるものが、九州の大宰府、越中の国府、伏木辺等に出没したことは、一種奇異なるコントラストの感がある。何故此の如き職業的売笑婦が、自由恋愛の盛んに行はれた時代に出現したのであるか。