獣類に於ける性的好悪

動物には唯性欲あるのみで愛情は無いと称せられてゐる。併し獣類の性生活を見るに、その中には人間に於けると同じく、異性に対して好感の感情を有つてゐるものが決して稀でない。或る異性に対しては好んで交尾するも、他の異性には交尾するを好まずして、之を拒否するが如き毛嫌ひをする現象のあることは、牧畜者間に能く知られてゐる事実である。ダーウインは夙に這般の現象に就いて次の如く記述した。『一定の雄と雌とは互ひに交尾せざるも、他の雄或は雌とは喜んで交尾し妊孕することは必ずしも稀有なる現象でない。這般の事実は動物の生活慣習の変化に因るのでは無く恐らくは先天的なる性的好悪に基くのであらう。馬、牛、豚、猟犬、普通の犬等には此のやうな現象が屡々解められる。良種の雄を当てがつても雌の厭がるために、交尾させることが出来ないやうな事実も尠くない。また牝馬に眼隠しをして或る牝馬と交尾させても妊娠しないのに、他の牝馬とは能く交尾して受胎することもまた稀でない』と云つた。生理学者プリユーゲルも駿良の牡馬が自分に配せられた良種の牝馬を嫌つて、却つて駄馬の牝を挑むが如き現象を屡々見た。

示村慶太郎氏が、『週刊朝日』第五巻第二十一号に掲載した『恋愛は人間だけの特権か』と題せる興味深き一論文は、家畜に於ける性的好感の感情を詳述したものであるから、茲にその要旨を抄出する。

二十世紀の初年、英国の競馬界を風靡した駿馬シグノリネタの生ひ立ちに絡む微笑ましい話がある。その母馬シグノリナは悍性の強い駿足で、二歳の時には天下無比と唱へられた程であつたが、壮齢を過ぎて蕃殖用に下げられてからは、相手の牝馬を嫌つて跳ねる、咬みつく、果は蹴り飛ばすといふ乱暴沙汰で、持主のギニトレリ氏も困惑した。処が或朝隣家に飼養されてゐる牝馬セロローが運動のため引出されて、シグノリナの厩舎の傍を通ると、彼女は急に嘶き出して、哀れげに何かを訴へるやうにする。寝室の窓から眺めてゐたギニトレリ氏は、不図思ひ当ることがあつたので、それから毎朝のやうに彼女の様子を窺つてゐた。

セロローが通る、彼女が嘶く。このことが度々繰りかへされるのを確めたギニトレリ氏は、これはセロローに対する彼女の思慕であると断じ、恋に満足した男女の間に優れた英雄の生まれた古今の例に想到し、且つシグノリナの哀情を憐んで、友人の諌止するのも聞かず、駄馬セロローをこれに配せしめた。名馬シグノリネタは、斯かる数奇的な運命の中から生れて来たのである。

東京府立川町の子安農園立川養豚場に、サクラとウメと云ふ姉妹の豚が飼はれてゐたが、姉のサクラは気むづかしい豚で、ラーロン(以下英名は英国生れで此処へ輸入したもの)と云ふ牝以外に他の豚を近づけしめなかつた。ローズ四十四世と云ふ牝豚も、人なつかしい割合に鼻つばしが強く、どの牝をつれて来ても決して肯んじなかつた。如何になためても吠える、咬みつく、悲鳴をあげるといふ半狂乱の始末で、大きな期待を抱いてすたすたと小走つて来る牝豚も、彼女の姿を見ると急に横へそれたり、退却したりするやうになつてしまつた。で、甚だ非人道的ではあつたが、最後の手段として動けないやうな枷をつくり、ピツカアといふ種牝を使用して種つけを終つた。幸ひ受胎して好い子を生んで呉れたので、我儘ももう仕舞と、新しく輸入した牡を配したが、矢弧り騒ぐ。次にはクランバーと云ふ壮齢の牡をつれて来たが、彼女の一喝を喰つて忽ち凹んでしまつた。その頃ピツカアは稍老境に向つて余り使はれなかつたが、兎も角と連れ出して来た処、妓女は今迄と打つて変つて、俄かに純愛の情を示した。養豚全書の著者高山徹氏もまた面白い実見を報告してゐる。鹿児島県立大島農業模範場には、大島郡農会の種豚バークシャー種と谷頭種(白色)とを十頭ばかり飼養したが、或日のことバークシャーの牝が発情したので、同種の牝を配せしめたが、どうしても感じないで、却つて隣室にゐた谷頭種の牡を頻りに慕ふ様子だつた。で、当事者であつた高山氏は一策を考へて、牡バークシヤーを連れ出し、谷頭を入れて喜ばせてから、風呂敷で彼女の目を覆ひ、谷頭を出して無事バークシャーの牡を交配せしめることが出来た。月満ちて生れた仔は当然純粋繁殖の法則通り、真黒で、たゞ鼻尖と四肢の尖端のみが白いバークジャー種の特徴を現してゐなければならないのに、四頭の産仔の中、二頭は白色一頭は黒白の斑、一頭は黒色を呈してゐた。高山氏の言によると、『隣室の牡谷頭を慕ひ、且つ自分に掛つたものも矢張り白色の谷頭であると信じたため、母親の感情が産仔の形に影響した結果であらう』とある。

以上の如き事実を観ると、恋愛と断ずることは出来ないにしても、獣類にもまた之に近い性的感情のあることが明かである。