同性のみを愛する極端なる女性的男子は、夙に幼年時代から女性的性質を示し、女児の群に入つて之と遊び戯れ、或は人形や手鞠を弄することを好み、或は裁縫庖厨の技を嗜み、姉妹と共に家事に従ふこと殆ど女子と異る処なく、思春期に入っても、その性依然として婦女子の如く、飲酒喫烟を厭ひ、音楽、美術及び装飾を事とし、身に化粧を施し或は女装して同性の眷恋を求め、その歩行挙措等に至るまで殆ど全く女性的である。而してその同性に接触するに当っては、自己を女性的他置に置いて鶏姦或は股姦せしめ、之によって絶大の快感を覚える。若し自己を男子の位置に置いて同性に接触する場合には、恰も異性と交はるが如くに感じて非常なる不快を感じ、或は悪心嘔吐を催うすに至ることもある。此の種の変態男子の模型的一実例として、クラフト・エビングの著書『プシコバチア、セクスアーリス』 Psychopathia sexualis 中に記載した一男子の手書を左に抄訳して見よう。
私は小児の頃から男子の姿を描いた絵画や彫刻が好きで、殊男に子の性機関を瞥見するのが何よりも楽しみであった。大学に入ってからも異性によって性欲の動いたことが無く、友人に誘いはれて青楼に登ったこともあったが、併し一度も目的を達することが出来なかった。若し私の傍に婦人が居たり、或は一室内に婦人と同居するやうな場合には、忽ち厭悪の感が起って情火は消えて了ふ。そこで、私自身は陰萎ではあるまいかとも思って見たが、併し性欲は人一倍強く発動するのが常で、一日数回も自慰を試みたことさへある程であった。
私の異常なる性欲は年を経ると共に愈々著しくなり、同性に接触せんとするの情盛んに胸裡に燃えて殆ど抑へきれないこともあった。此様な際、若し窓に倚って道路の往来を見渡し、美しい男子の通行するのが眼にとまると、直ちに戸外に出でその男のあとを追跡した。また私の心ひそがに恋ひ慕った男子のある時は、その住宅の前に佇んで其の人の出るのを待ちわび、若しその男が門外に出れば、早速接近してその身体に触れるのを楽しんだ。また思ふ男に艷書を送って綿々たる切情を打明けたこともあった。
二十歳になった頃には異常の愛欲が益々亢盛して来た。私の愛する男子は筋骨の逞しい堂々たる偉丈夫であって、女のやうな華奢づくりの美少年は少しも好かなかった。二十二三歳の頃となっては愛する男子の数も多く、若し私の愛欲を惹くべき魁偉の男を往来で一目観る時は、情火忽ち燃え直ちに之を恋人にしたくて堪らなかった。さりながら私の情人とならうと云ふものは大抵下等社会のもので、兵士とか馭者とか云ふやうな体格の頑健偉大なるものであった。
一夜私は自室に静坐してゐた時、凛々しい勇ましい兵士の靴音が近くに聞えたので、私は飛び立つばかりに戸外に出で、兵士に追ひついて恋情を打明け、財布から金をつかみ出して、どうが私の恋をかなへてくれと懇願した処が、兵士は金を見て私の切なる要求を容れてくれた。その時の喜びは実に譬へん方もなく、思はず彼に抱きついて接吻した。
しかし私は顧みて自分の性欲の変態なることを思ふ毎に、自らを憐みまた悲しまざるを得なかった。私の嗜好する愛は実に非自然の極で、社会道徳が詐さないのみならず、法律の禁ずる処のものである。あゝ恐るべきかな、慎しむべきかなと幾度も自ら戒めたこともあるが、如何せん眼の前に勇壮快活なる偉丈夫を瞥見する時は、忽ち肉動き魂飛んで夢中となり、非倫の行為を犯すやうになる。われながら余りの愚劣さと醜悪さとを切実に感じたので、医薬によって此の悪病を治せんと欲し、屡々之を試用したこともあったが、少しの効験も無いのである。
私自身を女性なりと心の中に想像して婦人の群に入り相交際することは愉快であっても、若し本来の男子として婦人に接する時は、直ちに不快の感に襲はれる。私の毎夜夢に見る人物は必ず男子であって、その男が私を強く抱きしめ、或は腕を握って強く圧へつけると、一種名状すべからざる快味を感ずる。その場合、いつも私は全く女性となって受動的の位置に立つ。
私の今まで心の底から憧憬した男子は二人の士官であった。其の中の一人は私が大学生であった頃、真に命を睹して恋ひこがれた結果、一夜彼の住宅の前に佇んで、其の外出を待ち受けたことがあったが、遂に目的を果たさず、あはれ無残にも私の切なる恋は片恋に終って了った。その後、右の士官によく似た一士官を途上で見たので、愛欲の情転た抑へ難く、それからは此の男の常に通行する道に佇立して、一日を費やしたこともあったが、しがし遂に彼と邂逅するを得て、その明眸が私の顔を射った時には。私はあまりの嬉しさと恥しさとで、女のやうに思はず顔を真っ赤にした。しかし私は心に咎めて彼に切情をもらすだけの勇気はなく、たゞ彼の軍服に触れたり、或は膝に接したりなどして快感を貪った。
私の身体は女性的で、手足は繊小、音声は高調、胸廓は狭少である。喫烟を好まず、人と争うたことなく、美術と装飾とが好きで、よく貴婦人と交際する。私の最も好きなは音楽である。
以上は最も顕著なる女性的男子の一実例であるが、併し此の如き者は必ずしも稀有で無い。之に類似した男子は私も嘗て実験したことがある。今から十五六年前のことであるが、大阪の某大商舖の番頭で、Y・Iといふ五十三歳詐りの男があった。至って優順な性質で、背は低いが、デツプリと肥え、其の物の言ひ様や歩行の状態など殆ど婦人の如く、異性に冷淡なる代りに、壮年の男子を愛し、嘗て私の小県校友達で、女に身を持ち崩した放蕩漢のSといふ(二十四五歳詐り)のを自宅に屡々引入れて狎戯してゐたこともあった。俳句、情歌等を作るのが上手で、文芸的才能に長じ、五十三歳になる迄も独身で、家事は一切実妹にまかせてゐた。衣服はあまり派手なものを着なかったが、常に薄化粧をなし、赤の襦袢を装ひ、その風采宛も女の化物のやうで、死する前までも数名の情夫があったと云ふことである。