強姦を法医学的に鑑定するには、加害者と目せらるゝ男子に就いて行ふことは殆んど絶無であって、被害者たる女子に於てのみ之を行ふのが常である。而して女子に就いて之を鑑定するには陰部の解剖的変化、腟及び其の附近に於ける精液、身体に於ける抵抗の痕跡、及び花柳病伝染の有無等であるが、併し此の中最も重要であるのは、陰部の解剖的変化であって、即ち暴行的性交に因る生殖機関の損傷の有無を証明することである。さりながら這般の損傷は、未だ異性に触接せざる少女に於てのみ認めらるゝ処で、既に幾回も異性に接した婦人に於ては、殆ど之を証明することが出来ない。少女に於ては、処女膜の破裂、腟力至会陰の損傷等が認めらるゝも、併し之を証明したからと言って、直ちに強姦されたものと断定し得られない。何となれば、強姦偽訴の目的を以て本人自身、或は其の周囲にある者が故意に其の陰部を傷つけることもあるからである。だから法医学上に於ては、強姦されたと告訴した女子を検査して、処女膜の破裂及び陰部の損傷を認めても、それは硬固なる鈍器の作用に由る暴力的損傷と鑑定すべきものであって、軽卒にも強姦に因るものと明言することは出来ないのである。蓋しそれが果して強姦によって生じた損傷であるか否かは、現行犯を見ない限り到底客観的に認識し得られるものでなく、強姦の行はれたか否かに就いては、裁判官の主観的判断に任すの外はない。
これ実に法医学上、強姦を確実に鑑定することの困難なる所以の一であって、たとひ心の中では、十中の七八まで強姦に因る損傷なるべきことが判ってゐても、法医として鑑定書を起草するに当っては単に客観的に見た処のみに留め、決して『強姦に因る損傷と認む』と云ふやうな主観的判断を記入してはならない。私が特に此様なことを喧しく言ふのは、世の中には強姦されたと虚偽の告訴をして、被告の男子より金銭を貪ぼらんとし、或は其の名誉を陥れんとして自分の娘の陰部を故意に傷つけ、強姦に因る損傷を装ふやうな悪漢も往々あるからである。
膣及び其の周囲に於ける精液の証明は、性交遂行の鑑定の材料となっても、併し和姦なるか強姦なるかは固より之によって判る筈が無い。且つ強姦の告訴は被犯後直ちに申し出づる者は甚だ稀で、多くは既に多少の時日を経過してゐるから、被姦者の陰部及び其の周囲、又は衣服等に精液を発見することが出来ない場合が甚だ多い。それ故、精液存否の証明も鑑定上にとって左程の意義効果も無いらのである。
身体に於ける抵抗の痕跡は成人した婦女に於て認めらるゝ処で、即ち陰部の他、股、下腿、腕、頸囲、脚部等に於て、皮膚剥脱、溢血、時としては猶ほ大なる疵傷を見ることもあり、また加害者たる男子に於ても、被害者の抵抗を受けたため、屡々顔面、前腕、股、陰部等に掻傷、咬傷等を生ずるものであるが、併し幼女少女が強姦された場合には、抵抗力の無きがため、此様な抵抗痕跡が少しも証明せられず、また成人した女性でも、熟眠時、催眠状態、麻酔状態に於て強姦された場合には抵抗の痕跡が無いから、強姦り証跡を挙げることは甚だ困難である。
花柳病を被害者に認めた時、更に加害者を検して同一の疾病に罹ることを認め、且つ被害者に於ける花柳病の発生及び経過時日を精査して、強姦されたと云ふ日と一定の関係あることが刊明した場合には、性交行為によって伝染したことだけは明かであるが、併し此の場合に於ても、それが果して強姦和姦いづれであるかは固より明かにすることは出来ない。
以上概述するが如く、科学的に強姦なることを立証することは実に困難なるが上にも、強姦の申立には実際上偽訴に出づることが多いから、余程注意しなければならぬ。
カスペルは十一歳の幼女が強姦の辱を受けたとで、其の母親の訴へた事件に就き、親しくその女児を検した処、其の局部には何等の損傷もなく、たゞ淋疾を患ってゐることを認めたので、更に被告の男子を検査した処、淋病を患ったこと無く、却って黴毒に罹つてゐることを発見し、女児の現症と被告の症病との全く相異れることを突きとめ、之を偽訴と鑑定した。そこで裁判官は原告たる母親を詰問した処、果してカスペルの鑑定通りであった。その母親は貪欲飽くことを知らざる悪婆で、大金を貪ぼらんとする目的から、故意に知人某をして其の児女を姦せしめ之に淋疾を伝染せしめ、富豪某より強姦せられたと偽訴したのであった。
マシユカが世に報告した強姦事件に於て、一応女の癲癇発作の際、被告男子のために米穀倉庫内に運び入れられ、其処で姦淫されたと申し立てたが、直ちにその偽訴なることが看破せられた。それは何故かといふに凡て癲癇発作の際は全く意識を失ひ人事小省に陥るのが常であるのに、右の処女は其の当時の事情を明かに申し立てたからである。これもまた被告から金銭を貪ぼらんがための偽訴であった。
またカスペルは姉の夫から姦淫されたと訴へ出た一処女を検したが、亳も破爪の徴を認めなかったので、厳しく訪問した処、遂に姉の請に従ひ、其の夫と離縁せしめんとの目的より、斯く偽訴に及んだことを白状した。
それから猶ほ吾人の注意すべきことは、銘釘或はクロゝホルム麻酔中に性交を夢み、或は之を幻覚して強姦せられたと信じ訴を起すことである。また予じめ謀つて相手の男子に酒を強い、巧言令色以て其の浮欲を挑発し、或は自ら酒を飲み、其後になって男のために酒を強いられ銘釘して前後不覚となった時強姦せられたと訴へ、金銭を騙取せんと企つる莫連女のあることをも知らねばならぬ。されどカスペル、リマン及びマシユカは強姦事件を鑑定するに当り、該婦人の挙動態度をも検することの必要なる所以を指摘した。蓋し経験の教ふる所に依るに、実際上強姦の不幸に逢つた女子は医師の検査を受くるに当り、その挙動静粛にして容易に陰部の検査を許すものであるが、之に反して強姦を偽訴する無恥厚顔の莫連者は、外観上強いて陰部の検査に反抗し、或は殊更に羞恥の態を装ふ著が多い。また強姦の偽訴をなす者には「ヒステリー」性の婦人が尠く無い。それは好んで他を陥れんとする病的性癖に基き、或は異常に興奮した性欲、或は交接の幻覚に因るのである。此の如く強姦を偽訴する婦人は、一般に成人した者であり、また有夫の者も多いから、固より法医学的検査を施しても、其の事実なるか偽訴なるかを明かにすることは出来ない。たゞ裁判官の主観的判断に任すの外は無いのである。それがため往々誤判が下されて、被告の男子が思ひも掛けぬ冤罪を負はされ、罪なくして牢獄に呻吟するやうなことがある。現に杉村楚人冠氏が『中央公論』第二五年第一号に掲載した『変な女』から、強姦の偽訴を提起されて牢獄に投ぜられたが上にも医師開業免状をも取り上げられた岸(仮名)某といふ医師もあった。