禁欲生活に基因する残忍性

自然より授与せられた本能的欲望を無理に抑圧することは、不自然であると共に、既にそれ自体に於て残忍である。そのため抑へきれない焦躁と苦悶とを感じ、また満足されない欲望の代償を他の方面に求めて酷薄残忍の行動に出づるやうになることも決して稀でない。

先づ食欲に就て之を観るに、それが満足せられないで空腹状態になつた時、何となく焦々とした、落ち附のない気分となることは何人も体験してゐるであらう。我国て衆議院の議場が混乱の巷となり、動物園化するのは、議員の空腹となる午後五六時前後に多いことから考へても、空腹に因る焦躁気分が原因となつて議場を混乱に導き争闘を惹起するに至る所以を肯定すこるとが出来よう。大勢会合して食事か共にする宴会が互ひに親情を厚くし、懇親の実ふ挙げるのは美味佳肴に対する口舌の快感、酩酊に因る享楽気分が各自の感情を融和する以外に、食欲其者が満足されて、いづれも落ちついた、晴れ晴れしい、活き活きとした心持となり相互ひに胸襟を開いて歓談を交ゆるやうになることもその原因の一である。されば性欲に於ても、それが適当に満足された場合には、圭角多き人間も円満となり、殺風景なる人生も優雅となるが、若しそれを強ひて抑圧する時は甚しき焦躁、●迫、悩懊を感じ、従つて残忍の傾向を取るに至るやつになるのも亦に必然の帰●である。私はその最も明かなる実例として老嬢の残忍性を先づ第一に挙げてみたい。

性欲を無理に抑圧して心ならずも寂びしい孤独の生活を送れる老嬢が、女らしき優さし味を欠いて歪曲陰険の性質を帯び、根性がいやにひねくれて同情心に乏しく、冷酷であることは、特に婚期を過ぎながら依然として孤影寂寞たる独身生活を送る女教師の多くに於て之を見ることが出来る。蓋し愛情なるものは生来固有のものであるにしても、之に対する剌戟がなければ開発せらるゝもので無い。殊に受動的なる女性に於て然りである。女性は夫をもち、情人をもち、子をもつことによつて始めて真の愛情が啓発するものである。然るに老嬢なるものは此の剌戟を受けることがないから、女らしい情味を有つて居らない。昔の御殿女中に冷酷陰険な者の多かつたのも蓋しこれがためで、今日に於ては独身の女教師等に這般の実例を見ることが出来る。私は嘗て某高等女学校の生徒に就て訊き質してみたことがあるが、いづれも皆言ひ合したやうに、女の先生は思ひやりが無く、きつく当るから嫌やだと答へた。これは必ずしも同性相反撥する女生徒の蔭口ばかりと見ることは出来ない。

独身の女教師が些少の過失に対しても女生徒を厳酷に叱責する傾向のあることは周知の事実である。就中、性愛の事件に関する過失に就ては実に酷薄なる処置を取ることが多い。そこに禁欲生活に因る冷やかさ寂びしさや、他人の情事に対する羨望嫉妬やらが、ありありと現はれてゐる。彼女達は異性との交渉関係のない独身生活の気楽さや純潔なる境遇を表面には他人に誇つてゐながら、内心では矢張り強い本能の力に牽制せられ、性的要求に強い執着を有つてゐるのである。かく思ふにつけても、私共は女学校の舎監や監督に独身の女教師を任命することの如何に青春の女学生に禍であるかを考へずに居られない。些少の過失に対しても之を寛容する雅量に乏しく、而かも蚤取り眼で女生徒に於ける性的交渉の欠点の有無を探査し、そこに自己の寂びしい禁欲に対する慰籍と復讐とを見出さんとするが如き老嬢の残忍性を私共は呪はざるを得ない。

尼僧の如き禁欲生活をなす女性も偏狭冷酷なる性質となり或はヒステリツクな性格の持主であることか多い。聖何々と云ふやうな尼僧の多数が強度のヒステリーに悩んだことは。エリスの記述に徴しても明かである。そのため外観上では純潔壮厳らしい尼院内にも惨虐なる行為の演ぜられたことも決して稀でない。新たに尼院に入つた若い女性を真裸にして殴打したり、或は些少の過失に対しても直ちに鞭笞を加へたり、監禁したりするが如き行為は、これ迄カトリツク教の尼院に於て屡々演ぜられた。十五世紀の頃、独逸の尼院には一の尼が他の尼に咬みついて傷つけ合ふ惨虐な所行の流行したこともあつた。此の如き残忍性は禁欲生活に因る苦悶、焦躁、葛藤から出発するのである。

聖者といひ、善知識と云つても、矢張り血の通ふて居る人間であるから。その中には俗人同様に本能の屈迫に悶え苦んだ者が多いことは、聖者の自伝や挿話に徴して明かである。聖ヒロニムスは率直に告白して『余は性的妄念のために泣き、吐息し、眠ることも出来なかつた。余は断食して水ばかりを取つてみた。それにも拘はらず、美しい妙齢の女達の中にあつて、その温い肉に触れると、余の疲れきつた半死半生の身体も、急に活き活きとして燃えるやうになるのを感じた』といつた。聖者や教徒が霊的生活の純潔を欣求しても世に生きてゐる限りは、依然として肉の束縛より離るゝことは出来ない。彼等は難行苦行して肉を責めることに努力して居るにも拘はらず、その心は異性に惹き寄せられて、性的興奮の募るがため、それが色情的の幻覚となつて現はれる。彼等は此の汚らはしい幻の影を打ち消すやうに苦心する。そのために聖ベネヂクトは薔薇園の剌棘中に身を置き、聖ピーターは氷水中に身を投じた。此の如き不自然にして懊悩、葛藤に充てる禁欲生活が如何に彼等をして残忍の傾向に趨らしむるかは容易に看取し得べき処である。愛を説き愛を実行すべき宗教家でありながら、妄りに異教徒に残酷なる迫害を加へて世人を戦慄せしめた実例は中世紀より前世紀の初葉にかけて西班牙に行はれたカトリツク教徒の宗教裁判に於て明かに之を見ることが出来る。彼等が異教徒、就中、猶太教徒に加へた迫害拷問がいかに残酷を極めたかは史上に顕著なる処で、今日に於ても、西班牙の旧い寺院には、当時使用した拷問機具が保存されてあるが、之を一見した者は忽ち身の毛の逆立する程惨虐の限りをつくした者である。我等カトリツク教の長老や教徒は、その禁欲に因る焦躁、不快、懊悩の吐け口をば異教徒に対する残忍の拷問に見出し、それに特殊の感興と満足とを覚えたものであることは容易に想像し得べき処である。

我国に於ても禁欲生活を余儀なくせられた僧侶の中には冷酷残忍性を帯び、兇器を弄して擾乱を好んだ者も尠くは無かつた。国史に著明なる南都北嶺の悪僧の如きは実にその最好例である。彼等は唯だ丸めた坊主頭を布で包んで物の具の上に僧衣を着けてゐたのみで、その所業も思想も感情も僧侶らしい処は無く、酷薄横暴を極めた一種の武士であつた。白河法皇が、鴨川の水、双六の賽と共に意の如くならぬものと嘆息怒ばされた程、叡山延暦寺の山僧は横暴を逞うして屡々朝廷を苦めた。興福寺東大寺の奈良法師も亦た之に劣らぬ悪僧であつて、彼等は嗷訴の度毎に春日の御神木や、日吉の神輿をかついで進軍し、六衛府の官人共を一縮みに処縮せしめた。

支那に於ても生殖不能者たる宦官が残忍酷薄の性格を帯び、陰謀術数を好んで王候を脅戚迫害し、血醒き争乱を惹起した事実は歴代の漢史に著明なる処である。また露国に於ける去勢宗として世に知らるゝ「スコブツエン」派の信者が概して貪欲であつて両替商を営む者の多いことや、また、新たに信者となる者のある場合には多数の信者が集会して聖餐式を挙げ、その面前に於て、男手ならばその陰茎を切断せられ、女子ならば陰唇、乳房を切り取られて、それを皿の上に盛り、信者一同が之を食するが如き残忍行為をなすことも周知の事実である。

禁欲生活が人心を荒無して冷酷残忍なる性格に向はしむることは、前述の事実に徴しても之を否定することは出来まい。私共は這般の点より見て、彼の有名なる宗教革命家マルチン・ルーテルが『酒と女と歌とを好まない者は一生馬鹿だ。』 Wer nicht liebt Wein, Weib und Gesang, der bleibt ein Naar sein Leben lang. といつた言葉に深長な意味の含蓄せらるゝことを認むるものである。