三(啻に腋臭ばかりで無い。皮膚の汗臭もまた)

啻に腋臭ばかりで無い。皮膚の汗臭もまた往々性欲を興奮することもある。エーゲルは汗臭を以て性欲の発動に必要にして、且つ特具なる誘惑者であると云った。英国の作家ケンヂン・ヂグビーはヴエネチア・スタンレー夫人を訪うた折、夫人はベットの上で安眠してゐたが、その脚部には『ダイヤモンドの如くに輝ける汗の滴がきらめき、菫の香気のやうな匂ひが発散したので』著しく愛欲の動いたことを記し、カドー・デボーは、女体の汗臭が性的刺戟として最高の意義を有することを説いた。トルストイの創作「戦争と平和」の中に、ペートル伯が舞踏場で皇女ヘレナの汗臭を嗅ぎ、突然皇女との結婚を決心したことが描記されてゐる。また史上の事実としては、ハインリツヒ第三世がナウアルラ王の結婦式に臨み、ゴンデ王の皇太子妃マリアの汗に濕うた手巾でその顔を拭はれた際、突然マリアに対する愛欲が起りて、之を姦淫したと云ふ有名なる事例がある。

是等に類似した事実として挙ぐべきものは、ウイツトマーレツトの記述した印度の或る王は、その愛人を選択するに際し、汗臭の滲みこんだ女の衣服を持ち来らしめ、それを一々嗅いで最も愉快な匂ひのする衣服の持主をば愛人にしたと云ふ事実があり、またオスカー・シユミツトは、印度に於ては愛人同士が汗臭ある寝衣を交換して、之を着する風習のあることを語つた。また皇女シマイが浮浪人リゴーに愛着したのは、その臭気による性的興奮のためだと伝へられてゐる。イワン・プロツホの記する所に依るに、仏国に於ては黒奴或は合ひの子の臭気によって、特に性欲の発揚する者が尠く無い。その一人たる詩人ボードライルの如きは、異性の臭気を以て第三の快感及び最高度の快感と称した。

変質的の人間には、異性或は同性の体臭に対して熱烈なる愛着心を有し、単に之のみによって著しき性的興奮を来し、性欲を満足するやうな者もある。此の如きものを称して嗅覚的フエチシスムス Olfaktorischer Fetischismus といふ。ハーゲンは此の種の変態性欲に関する実例を蒐集して精細に記述したが、異性の衣服を盗む所の「フエチシスムス」者の中には衣服にしみこんた臭気を嗅ぐことによって、快感をおぼえる者も尠く無いのである。またフエレーの記する所に依るに、同性愛を好む一婦人がその愛人より頭髪を送らしめ、その臭気を嗅いで愛欲に陶醉したやうな者もあり、或は体臭の強い学友に接触すると、容易に性的興奮を来すが如き者もある。同性愛を好む男子に於ても同様であるが、ラツフアロヴイツシは此の類の男子の中には、自体の臭気によっても発情するものがあり、また戸外に作業する労働者、農夫等の体臭によって、特に性的発揚を来す者もあることを記し、モルは一児童に附着した蘚苔様の臭気を嗅いで、堪へ難い程に発情する一男子に就いて述べたことがある。

さりながら体臭が却つて色情を抑制し、或に頓挫せしめることがある。モルの実験した神経病質の一男子は異性の体臭に対して甚だしき不快の感を抱き、窈窕たる美人に接しても、その体臭を嗅ぐ時は忽ち陰萎となった。