一(人間にも動物に於けるが如く特有の臭気がある)

人間にも動物に於けるが如く特有の臭気がある。それには種々あって、全身の皮膚にある汗腺及び皮脂腺の分泌物に由来する臭気を始めとして、毛髪、呼気、腋窩、足踵、会陰、男子に於ける包皮恥垢、女子に於ける陰阜、陰門耻垢、膣粘液及び月経血の有する各自特殊の臭気で、健康清潔なる人に於ては、その度は強くないが、他より能く之を感ずることが出来る。この中、主に論述せんと欲するものは、全身皮膚より発散する臭気、(即ち狭義に於ける体臭 Korpergeruch)に関する性的意義である。

体臭は夙にヒッポクラテースの知ったが如く、思春期に至って始めて顕著となるもので、小児、成人、老人にはそれぞれ固有の臭気がある。それ故モナンは体臭によって個人の年齢を識別することが出来ると云った。ジョルグは女子が思春期に達すると、その分泌物が一定の臭気を発するに至ることを説き、カーンは思春期に入った者の汗液は、鋭利なる麝香様の臭期を有することを記した。蓋し体臭も第二次性徴の一と認むべきもので、第一次性徴たる生殖機関の発育成熟すると、その血液中に分泌する「ホルモン」の作用によって、骨格、体毛、喉頭等に特殊の性徴の喚起せられると同じく、皮膚の分泌物の性状にも変化が起って、特殊の臭気を発するやうになるのである。それ故、生殖腺の発育不完全なるもの及び之を除去せられたものは、体臭を異にし或はそれが微弱である。プルダツハは去勢者の臭気が通常の男子よりも遙かに弱いことを認め、ルーボーは通常の人間よりも異ることを記した。

此の如く体臭は性機関と一定の関係を有つてゐるから、性的興奮或は性的結合の場合には、皮膚或は呼気または凾者よりして特殊の臭気を放つことがある。グリマルヂーはこの臭を悪臭あるバターの臭に比し、他のものは「クロゝホルム」の臭に比した。そして此の特異の臭は往々数歩の距離を隔てても感受せられることがあり、また性交後二三時間までも持続すると云はれてゐる。聖者フイリツプ・スネリーは性欲を禁克せる男子をその体臭によって識別したさうである。シュリギウスの記する処に依れば、古代の多くの学者は性交の際、山羊の臭に類似せる臭気の発散せられることを認めたさうで、殊にそれは婦人に著しく、売笑婦及び新婚の婦人には最も強く、之を以て破瓜の確徴と看做したものもあった。

処女及び年若き婦人が月経時に当つて、「クロゝホルム」或は菫のやうな吸気を放ち。之によつて月経期に際会せることが識別し得られると云ふ説もある。プーゼー及びクチボルスキーは、月経の起る一日前には殆ど常に此のやうな臭気を放つと云った。また月経時の処女は革皮の如き臭気を放つといふ説もある。アウベルトの説に依れば、月経時の婦人は芳香性或は「クロゝホルム」臭を帯びた酸様の臭気を放ち、就中、腋窩に於て最も強いといひ、ガロパンは婦人の性的興奮をなす際には、腋窩に於て牡山羊のやうな臭を放つと云ひ、他の学者は琥珀或は菫の如き臭を放つといった。グルド及びビユは、黒色の頭髪の婦人が性的に興奮すると、往々青酸様の臭を放ち、金髪婦人に於ては麝香様の臭を発散すると云ひ、ガロバンは特に金髪婦人に琥珀様の臭気を感ずることを記した。クルーケーの報告に依るに、プラーグに於ては、接近し来る婦人の貞操をば自己の嗅覚によって識別する僧侶があつたさうである。