上古時代に於ては、自然石の頑丈と堅牢と重量とは悪神、魔鬼を遮障する神秘的能力があるやうに考へられ、人間の領域より悪神魔鬼を隔てる境の神として、自然石を崇拝するが如き宗教的意識を生んだ。イザチギの尊が黄泉の国に女神イザナミの尊を訪はれた時、女神は自己の醜い姿を見られたのを恨んで男神の後を追ひ、黄泉比良阪にまで来たので、男神は千引の石を以て阪の通路を塞ぎ、その石を道反大神と号したといふ『古事記』の神話は、自然石に魔神を遮障する神秘 的能力があることを信じた上古時代の思想の反映と認むべきものである。河内国大県郡の石神社は前述の道反大神、即ち魔神の住める黄泉国の阪路を塞いだ千引の石を祀つた神社と伝へられてゐる。
古来我国には自然石、石剣、石棒等を神体とした神社が頗る多い。所謂石神と称せられるもので、既に『出雲風土記』にその名が見え、『仁明記』には陸奥国玉造温泉石神のことを記し、『延喜式』の神名帳には、河内、伊勢、陸奥、能登等の諸国にある石神社の名が列挙されてある。『倭訓栞』に依れば、伊勢国鈴鹿郡にある石神社の神体は、小社村にある高さ百丈余の巨巌てあるといひ、また尾州の城東にある物部神社も、一の大なる自然石を神体としたものである。
石が邪神を防ぐ霊力を有つてゐるとの信仰は、一面に於て生殖器崇拝の迷信と相結んで、男根女陰の形象に類似した自然石、或は生殖器の形を彫刻した石を神体として道の岐に立て、啻に道路守護の神としてのみならず、除災、開運、良縁、懐胎、安産等を祈る神として之を祀るに至つた。所謂道祖神として祀る石神は、自然的或は人工的の陰陽石である。
自然石には男根女陰の形に類したものがある。『雲根志』に記する処に依るに、常陸国茨城郡穴沢村御前山と云ふ処には、長さ一丈、幅五尺、形薬研の如く、中に幅一尺、高さ一尺五寸の核がありて、真に女陰の形をなした自然石があり、また駿河大井川の上には藁科川といふ川があるが、その辺には男根女根に類する石を多く産すといひ、甲斐国駒ヶ嶽の大石はすべて男根の状をなし、近江石部の宿の北、菩提寺村の山中浪岩といふ処には、女陰の形に類した大石が多いといひ、大和の国にある天辺羅石山といふ山の上には、長さ一丈余の男根石があり、その麓に方一間許りの女陰石がある。その他、木屑街道掛川の近所の谷川に、陰石陽石が左右にならび、筑後国北上妻郡鹿子尾村、露岩寺の道山の尾崎に大きな陽石があつて、その長さ三間、太さ三囲位、山より生ひ出たといひ、伊州阿部荒木村の東、中の瀬の谷川の河中には、長さ五尺ばかりの陽石があるといふことである。また『陰陽神石図』(天保三年版)に記すとこるに依れば、備前国犬島の東北の山腹には、高さ二丈余、周径凡そ三丈の陽石があり、島の東南には陰石があつて、陰陽二石相去ること十町余である。また越後国三島郡石地村の海浜及び武州西葛西渋井村にも陽石がある。『甲子夜話』には備後国今津宿のはづれの田の中に、陰陽の二大石が相対立することを記し、『松屋筆記』には鎌倉鶴ヶ岡の社地に陰陽石があることを記してある。
此の如く各地方には生殖器の形に類似した自然石が多く、除災、開運、縁結び、安産、治病等に効験があるとて崇拝された。例へば信濃国小諸郡根津村にある根津大明神の神体は、陰陽配遇の状をなした自然石であつて、或る年某人がこの石を毀つたところが、いたく崇つてその家悉く滅亡したと伝へられ、越後国三島郡石地村の海浜にある陽石は、子のない婦人か之に接触すると子を孕むと唱へられ、武蔵国西葛西渋井村にある陽石は、御客大明神と称せられて吉原の遊女等が之を信仰し、祭料を供して祈るに必ず験ありと言はれ(『陰陽神石図』天保版)、また備後国今津宿のはづれの田の中にある陰陽石は、生殖器病を治する神として崇拝せられ、祈つて験あればその傍に旗を立てるので、陰陽石のあたりには紙の小旗が沢山に立てられてあると云ふ説話もある。(『甲子夜話』)。
しかし、自然の陰陽石よりも、生殖器の形象を人工的に石に彫刻し、之を神体として祀つた祠堂の方が遥かに多い。『嬉遊笑覧』に、『東国にては石にて刻める男根を祭る処多し、津軽などには銅にて作れるもあり、もと是れ道祖神なり』とある。『擁書漫筆』に『石神は道祖神の神体にて、今も阪東の国々に圓石を祭ることあり。武蔵国豊島郡の石神井、足立郡の石神などいへる村名も之に起れるなるべし』とあるが、その所謂石神なるものの正体が、生殖器の形象を刻した石であることは言ふ迄もない。
『煙霞綺談』『常陸の弓削道鏡の宮、遠江の事の任の神体は陽石なり』とあるが、これも石に刻んだ男根である。それは『本要俗諺志』(延享版)に、常陸国茨城郡高原にある弓削道鏡の社のことを記して、『神体は石にて刻める一尺四五寸の男根なり』とあるに徴して明かで、縁遠い男女が祈願を掛はると、不思議に験があるとまことしやかに書かれてある。また『雲根志』に依れば、摂津尼崎の大物大権現の社、京洛の今出川辺の幸之神の小社の神体も男根を刻した陽石である。『書証録』に『阪東の国々に、円き石、また陰根にて作りたる石を石神ともいやくじとも呼ぶ。武蔵国豊島郡石神井、足立郡石神などの村名もあり、下野国には処々に石の陽物ありて、之を金精明神などゝ云へり』とあつて、関東諸国には石で刻んだ男根を石神、金精明神などゝ称して崇拝する風習があることを記してある。
今日に於ても、殊に東北地方には生殖器崇拝の風が行はれ、男根女陰に類した自然石、或は之を刻した石や木を祀つた神社が、現に各地に存在してゐる、陸前笠島村道祖神社、陸中東花巻町鼬幤稲荷内道祖神、陸前愛子村道祖神、陸中東中野村智和気神社、陸中巻堀村巻堀神社等の如き即ちこれである。陽石は一般に道祖神、金勢(或は金精)明神と称せられ、陰石には淡島明神の名が附せられ、或は陰門観音、産形観音と称する地方もある。
橘南谿の『東遊記』に、『すべて田舎にはいろいろの名は替りあれども、陰茎の形の石、陰門の形の石を神体として、処の氏神などに祀ひ祭りて、尊び冊ぐ処多し』とあるが如く、自然の陰陽石あるひは陰陽の二根を刻した石を崇拝する風習は、今日に於てもなは僻陬の地方に行はれてゐるが、啻に神体としてのみならず、地蔵尊として崇拝する刻石、所謂石地蔵も生殖器崇拝の風習より作られたものも尠くないやうである。『書証録』に『猥褻なる仏像もこれかれあり、新編鎌倉志巻七、延命寺は米町の西にあり、浄土宗安養院の末寺なり。堂に立像の地蔵を安んず。俗に裸地蔵、また前出し地蔵とも云ふ。裸形にして双六局を踏むを厨子に入れ衣を着せてあり、参詣人に裸にして見するなり。常の地蔵にて女根を作りつけたり』とある。これは特に女根を附刻した石地蔵であるが、また一方には男根の形を象徴した地蔵もある。正面より見ると地蔵の像で、裏面より見れば男根の形を模せる石像である。上野の弁天祠の附近にある髭地蔵はその一種であるが、今なほ往々田舎道の側に立てられてある石地蔵にも此の種のものが尠くない、地蔵尊と見せてその実は男根を刻し、道祖神として祀つた陰陽石同様に、除厄。招福、良縁、安産等を祈願するが如き事実があることも、私共の夙に認める処である。