江戸時代にては『心中立』と云つて、娼婦が自己の生爪を剥ぎ或は指を切て馴染の客に与へ或は自分の腕に客の名前を入墨して二心のない証拠とした。心中とは相手の男一人のみを思ふといふ意味であつて、之を具体的に表示する手段をば心中立と云つたのである。その中、最も簡易であるのは所謂起請誓紙で、夫婦約束の証文てあるが、併し疑ひ深い客は形式的の証文位では満足しないがため、自ら爪を剥ぎ、小指を切りなどしてその愛情を客に誓ふやうになつた。多大の苦痛を忍んで身体の一部を傷つけるのであるから大抵の客は真実だと思つて、女の請ふがまゝに金鏝を与へたものである。しかしまだ疑ひ深い客には自己の腕に『何某命』の文字を入墨し一生心の変らぬ証拠とした。併し心中立として最も力強いのは狎客と死を誓ひ死を共にすることである。それ故、情死を称して『心中死』と云つたのであるが、いつしか死の字を略して単に心中と呼ぶやつになり随つて心中と云へば情死を意味することになつて了つたのである。
私が茲に一言したいのは、心中立として行はれた剥爪截指である。此の如き血腥い残酷なる傷害沙汰が繊弱なる女性より起つたことゝは、どうしても考へられない。思ふに殺伐なる戦国時代の遺習を承けた江戸時代の初朗に盛んに行はれた男色関係から起つたもので、それが娼婦社会に伝つたものらしく想はれるのである。これに関する考察を少し許り左に述べてみたい。
江戸時代の初期の風習を記述せる『むかしむかし物語』に男色の盛んに流行したことを記して『むかしは、衆道といふこと有之、十四五六八の男子、生れつき善きは勿論、大体の生れつきにても念者と云ふ者持たぬ若衆は一人もなし。之を兄弟契約といひし。又男色とも云ふ。この事につき動もすれば大出入出来、親類とても打ち果しなどし、大喧嘩出来、人亡ること夥しくあり(中略)されば生れつき善き子を持てる親は明け暮れ之を苦労にし深窓に込めて油断せず、たまたま他出の時は、親達同道して出る。今は此事絶えて静かなり云々』と見え又『昔は五六百石以上の人、小姓持たぬは無し、それより小身の人にも持もあれど稀なり。千石以上の衆は五人も七人も持つ。衣装綺麗にして客へ給仕に出す。小姓まわし云ふもの在レ之、やかましき事多し、喧嘩口論も度々あり。近年は小姓絶える』とある。此の如く江戸時代の初期に於ては男色の甚しく流行して美少年に思ひを焦す風が盛んであつたがため、残忍殺伐なる戦国時代の遺習の猶ほ行はれた当時のことゝて心ひそかに思ひを寄せてゐる美少年に対し、自己の指を切り或は爪を剥しなどして愛情を表示し相手の心を動かす手段とした。その証例の一として茲に挙げたいのは、元和版の『新撰狂歌集』中にある指切り事件である。それは柴田太郎右衛門といへるものがある美貌の若衆に恋して、さまざまに心をつくしたけれども相手が応じないので、遂に指を切つて送つたことが世間の評判になり『いとゝだに、握りこぶしの志波友郎、指を切りなば手をやひろげし』といへる落首が出たとある。要するに截指剥爪の如き自体傷害手段によつて実意を相手に表示することは男色の盛んに行はれた武士社会から始つたものと解して可い。此様な風習が意気と張りとを尚ぶ当時の娼婦にも伝り、初は娼婦自身がその愛する客に愛情表示の手段として行つたのが、その後になつて娼婦が客を欺騙し金を貪ぼり取る手段に変化したのである。
しかし娼婦が自ら生爪剥し或は指を切るのは疼痛に堪へられないし又不具者となるから、利に敏なる奸徒の中には、墓地より女の死骸を発掘し、その指を切り爪を剥して娼婦に売つたりするやうな者が出ることになつた。西鶴の『好色一代男』の中に這般の事実を記して『今こゝに美しき女の土葬を掘りかへし、黒髪、爪を放つといふ。何のためにと訊けば、上方の傾城町へ毎年忍びて売りにまかると語りぬ。求めて之を何にするかと訊けば、女郎の心中に、髪を切り爪をはなち、さきへやらせらるゝに、本のは手管の男につかはし、外の大じんへ、五人も七人もきさま故に切ると、文などに包みて送れば、もとより人に隠すことなれば、守袋などに入れて深く忝けながることの可笑しや云々』とある。此の如く死んだ女の爪や指を取つて娼婦に供給したり、又娼婦はそれを自身の指或は爪として客を欺いたりするやうな風習が起つてきたがため、疑ひ深い客を満足せしめることが出来なくなつた結果、到底客の眼を瞞着することの不可能なる入墨の風が盛んに行はるゝやうになつた、『嬉游笑覧』に『游女真情をあらはして髪きり指切ることは昔もありたりゞ剳青は近時のことゝ見ゆ、侠客の文身すること流行りて後のことなるべし』とあるが、併し末が文身の一般に行はれなかつた延宝時代に於ても既に娼婦間に狎客の名を文身する風が行はれてみた。延宝六年版の『色道大鑑』に『入墨の法用、思ひよる男にかゝせてその筆跡を彫り入るゝを規摸とす、剃刀にても切り入る。針にても入れども剃刀のあとは文字たしかならず、針にて入れたるは字形うつくし』とあり又『勘兵衛と云ふに、カンサマ命、十兵衛といふに二五命、清右衛門といふにキヨ命なゞゝ入るるも常のことなり。この外、氏姓の片字や諱の片字など入るゝもあり』などゝある。
この入墨の『命』といふ字がその後になつて遂に男の名のみに変つたのである。しかし娼婦が自己の腕に客の名を入墨するのも亦客を欺き金を貪りとらんがための手管として行はれたのは無論である。