前に『禁厭利用の性書と性器』と題せる考証物を掲載したが、所謂七難の陰毛に関する考証の補遺として山崎美成の『三養雑記』に於ける記事を茲に録載し、次で私の管見を聊か披瀝したい。
『三養雑記』に曰く、本朝国語に、伊豆国箱根権現の什物の中に、七難のそゝ毛あり。これ何ものと云ふことを知らず、又下総国豊田郡石下村東弘寺の什物の中にも七難のそゝ毛と云ふものあり。絲五色にして長さ四丈余、いまだ何ものゝ毛なるを知らず。相伝ふ、江州竹生島、信州戸隠山にも亦たこれあり、以て什物となす。往古異婦あり。七難と名づぐ。その人の陰毛なり。蓋し塵塚物語に竹生島七難の毛を蔵すと見えたり。昔長物のたとへなどに引き出でゝ言ひけることゝ見えて、犬草紙の長き物のしなしなにも、七なんのそゝ毛とあり。物産家には山婆毛といふものなる由いへど、その宝は如何にぞや、扶桑略記に治安三年入道前大相国詣二紀伊国一云々、御本尊寺、開二宝倉一令レ覧レ中、有二此和子陰毛一、註に宛如レ蔓不レ知二寸尺一とあり。この毛も七難のそゝ毛の類ならん』とある。この文の中、『往古異婦あり、七難と名づく、その人の陰毛なり』とあるのは博識家の山崎美成にも似合はぬ大間違ひで、七難とはかつて某誌にも記し置いた如く、地震、洪水、火災、鬼難、冰難。盗難、病難の総称である、この七難の即減を神仏に祈祷するに当り巫女がその陰毛を禁厭に利用したがため、七難の陰毛といふ名称が附けられたのである。処が茲に注目すべきことは、この所謂七難の陰毛の異常に長いことで、前掲の文章の中にも『昔は長き物のたとへなどに引き出でゝ言ひけることゝ見えて、犬草紙の長き者のしなしなにも七難のそゝ毛とあり』と記してあり、又た『和子の陰毛』が宛ら蔓の如く寸尺を知らずといへる扶桑略記の記事に徴してもその一班を知ることが出来る。
七難の陰毛の提供者は巫女である。而てそれが禁厭に利用せられたのであるから、その効験の著るしいのを期するには普通の陰毛よりも遙かに長い異相のものを選ばねばならぬ筈である。民俗学者甲山太郎氏の説かれた如く、我国には異相の巫女ほど巫術の効体が顕著であると信ぜられた時代があり、その異相の一として且つ最も有力なる一として選ばれたのが陰毛の長いと云ふことであつたらしい。処で婦人の中には異常に長い陰毛を有せるものが往々ある。元来女性の陰毛は男子のに比較すると通常は短いが併しその数は多く、直径も遙かに大で且つ粗剛であることはパッフ Pfaff の始めて認めた処である。固より個人的に差異あれども平均長径は殆ど二乃至五仙迷で、その強く巻縮せるものになると、九乃至十仙迷の長さに達するものもあり、又た往々異常の長さを有する者も見出される。エリス Ellis は陰毛の甚しく長いがため分娩の際之に必要なる操作か妨げた一名の婦人を見たことを記し、ヂャーン Jahn は一婦人に於てその陰毛が頭髪よりも長く、殆ど膝の下にまで達せるを見、パウリニー Paulini は羅馬の一女子に於てその陰毛の殆ど膝にまで達し、鬘の調整のために商人の購ひ求むる所となつた実例を記し、パルトリン Bartholin は背部に於て編み合はすべき程に長い陰毛の所有者を見、ペルグ Burgh は二千二百人の女子の中、その八人は陰毛の腸骨棘にまで達せるを見た(Ellis. Die Krankhaften Geshlehtsem pfindungen. 2 Auflage)
思ふに七難の陰毛なるものは前記の如き異常に長い陰毛を有せる巫女が提供して禁厭に利用したものであらう。