三(古代未開の民族は、生殖現象を以て非常に不思議)

古代未開の民族は、生殖現象を以て非常に不思議なる者の如くに信じてゐた。それは科学的無智なる彼等に取つては無理からぬことで、性交の如き単純なる機械的行為によつて、複雑霊妙なる生活機能を有する同種の新個体の出来るのであるから、彼等の眼にぼ如何にも不思議神秘なる現欽と映じ、男女の生殖機関には一種霊妙なる超自然的勢力が宿ってゐるとの思想が起つてきて、所謂生殖器崇拝 Phallus-kultus の風習を生じたのである。そして女性は新個体を産生するから女性生殖器関を以て特に生命を賦与する神秘機関と看做し之を崇拝するに至つた結果、女性生殖機関の形態に類似する貝類、就中、子安貝をも尊重し、従って此の貝殼にも霊妙神秘なる魔力の宿つてゐるように信じ、之を護符として用ひ、更に装飾貝にも絡ませるようになった。その結果、子安貝の形に似た他の貝類も亦た愛重せられ若し之を獲得し難き処にては、その模造品を製出することになつた。此の如くにして貝殻及びその模造品は一般に汎く需要せられ、遂に貨幣として流通するに至つたのである。這般の所説は、バーリー教授の創見でなく、ヱリオツト、スミス博士  Prof. Eliot Smith の学説を祖述したものであるが、併し兎に角、貝貨の起源が、生殖器崇拝にあることに想ひ到つたのは、慥かに興味のある見方である。

太古の民族間に護符禁厭の具として最も多く使用された貝は、ジャツクソン Jackson の説に依るに、女陰に酷似せる子安貝、就中、タカラ貝で、石器時代の民族には、この貝の他に、メクラ貝、イノ貝の如き者をも使用した形跡がある。始めて予安貝の発見された洞穴は、南フランスにあるマダレーン時代のラウゼリー、バッス Laugericebase の遺跡で、蹲踞の状態にある人骨の頭部、肘、膝、両足のあたりに子安貝が一対づゝ置かれてあつた。現今の蛮族に於ても子安貝を獲符として尊重するものがあり、太平洋請島の民族にては、漁撈の際には予じめ子安貝を漁網につけて獲物の多からんことを祈る風習がある。また豊饒、良縁を祈るがために貝類を崇拝する蛮族も尠く無い。例之ばヤツプ島の民族は吉凶典礼の贈答品には蝶貝を使用し、東ベンガルに住めるクハシヤ蛮族は結婚式には子安貝を供する。

此の如く禁厭護符に用ひられた貝殼は更に装防具をも兼ね、之を欲求する者の次第に多くなって他の諸品と交換された結果遂に通貨となつた。今日に於ても貝類を装飾品と貨幤とに兼用せる処は、ニユーギニア、アドミラリチー、マヌス、南部台湾、南部豪洲及びポルネオ等であり、貨幤として専ら使用してゐるのは、印度の内地、シャム、西アフリカ、ニユーアイルランド、ニユーブリテン等である。しかし、貝類の容易に獲られない処に於ては、石や、珠玉等でその模造品を作つて禁厭装飾の用に供した。古代エジプトの如き文化の夙に開発した邦国にては、子安貝の形をは、紅玉、銀、硝子等にて模造し、頸飾り或は腕輪の類に用ゐたことは、古墳発掘の結果によって明かとなった。この事実はエジプト研究家として有名なるペトリの記述した処である。