抑々支那の古代に於て貝殻が貨幣として通用してゐた証拠は、売、買、貨、貨、買、財、宝等、すべて財貨に関する文字が貝偏となつてゐるのに徴して明白である。『説文』に『貝海甲虫也、古者貨而宝亀、至周而有泉、到秦廃貝行泉』とあるに依るも、最初の貨幤が貝であつたことも推知される。近代に至ても英領印度、シャム、アフリカの西海岸には、貝を貨幤として用ゆる地方もある。我国の上古時代にも貝を貨幣として用ゐたことがあるらしい。それは買ふと云ふことを意味する言葉の「かひ」が現在に於ても貝を意味する「カヒ」、と同一であるからである。
貝殻を貨幤として用ゐた民族が主に漁猟民族であつたことは固より自明の理であるが併し貝貨の中、最も汎く行き渡つてゐるのは、子安貝 Cowries で、その中にも「タカラ」貝が多く用ゐられた。この貝は印度洋に多く、就中、マルヂエ島、セイロン島、ボルネオ島、東印度諸島及びアフリカの各処で採取せられる。英領印度、シャム、アフリカ西海岸に於て現今なほ貨幤として貝殻を用ゐてゐる処のあるのは、這般の地理的関係にも因るのである。太古の支那に於て使用された貝殻は何処から輸入せられたかは明白でないが、貝貨研究家矢倉甫田氏の所説に依れば、紀元前二十三世紀の頃、支那内地に輸入されて通貨として用ゐられた形跡があるといふ。印度洋より採取されたものが西域を通じて支那内地に入つたのであるか否かは審かでないにしても、恐くは然うであつたことゝ想はれる。
貝殻は貨幤としてのみならず、亦た装飾具として使用されたことがあり、現に今日に於ても、ボルネオ、南豪州地方、ニユーギニア等の蛮族間には種々の貝殼を頸、頭及び腰部の飾りに用ゆる風習が行はれてゐる。それは、貝殻の美麗なるがためであると云ふ考察は何人の脳裡にも直ちに浮ぶ処であるが、倫敦大学教授バーリーの新著『魔術及び宗教の起源』Prof. Perry. The Origin of Magic and Religion に記する処に徴すれば貝類を尊重して装飾用に供した風習の起源は生殖器崇拝であって、最初は貝殼を先づ護符禁厭の具として用ゐ、次で装飾具に絡らませて愛重するに至つたがため貝殻は大に需要せられ、他の諸物と交換することが行はれた結果、遂に通貨となつたのであると云ふので、即も貝貨が生殖器崇拝の風習に起源するといふパーリー教授の所説は、かねて私の考へてゐた処と合致してゐるので、尠からぬ興味を感ずる。