本論に入るに先ち、所謂『物品貨幣』Warengeld のことに就て少しく叙説するの要がある。
金属貨幤 Metallgeld の未た行はれなかつた未開時代には、各個民族間に嗜好せられ需要された物品が貨幤として流通し交換の媒介者となつてゐた。游猟民族に行はれた貨幤は、一に毛皮及び革皮であつた。この民族の主獲物たる獣肉は生活の必需品であっても、腐敗し易くて永く貯蔵することが出来ないので、革皮を貨幣としたのである。古代の希臘、羅馬、カルセージ等には、此種の貨幤が行はれたことがあり、露国にては、彼得大帝の時代まで之を用ゐてゐた。牧畜民族に於ては、牛羊等の家畜が最も尊重せられ且つ他に譲与することが容易で、而も永く保存し得られるから、それを専ら貨幤として使用した。メイン Main の説に依るに、経済語の Capital (資本)決律語の Chattel(動産)普通英話のCuttle (家畜)は古代の社会に於て貨幣として用ひた牝牛が頭数で算へられたがため Cayitele と呼んだのから起つた言葉であると云ふ。ワルカー Walker も古代の伊太利にては、羊を以て交換の媒介物となせしこと記した。希臘及び羅馬の上古の貨幤も牛であつたことは、疑ひなき事実で、ラテン語の貨幣を意味する言葉『ペクニア』Pecunia は『ペクス』即ち牛の語に淵源し、また英語の金銭を意味する『ペキユニアリー』Pecuniary の言葉も之に基づくものである。西暦紀元前五百二十年に生れて同四百五十六年に死せし希臘人 Aschilus の著作「アガメムノン」(悲劇)に記する処に依れば、希臘に於ける金族貨幣の最初の刻像は牛の図であったと云ふ。英語の「フィー」Fee(料金)が独逸語の「フィー」 Vieh 即ち家畜の語と同一の源語に出づることは論を俟たない。農耕民族にては農産物たる穀類、茶、煙草等を貨幣として使用した。希臘の太古より近代に至るまで、欧州の田舎に使用された交換の媒介物は実に穀物であつて、今日に於てもノールウヱーにては、猶ほ穀物を銀行に頂け、銀行は之を他人に貨与する風習がある。中央アメリカ、殊にメキシコにては「メーツ」といへる穀物を貨幤とし、露国、蒙古では、磚茶、メリーランド、ヴアジニア地方では煙草、アピシニアにては食塩を貨幤とし、我国にても上古時代より中古時代に至るまで稲穀、布帛等を貨幣に用ゐた。物価を「ね」(値)といふのは稲の「ね」の語より来った言葉である。
私は以上に於て物品貨幣の種類の大略を述べたが、さて是れより以下、同じく物品貨幣の一なる貝貨に就て叙説を試み、その起源が生殖器崇拝の風習なることに論及したいと思ふ。