男根切断者の性病伝染

自ら男根を断つた者が性病に伝染せし最近の実例報告を茲に二つ挙げてみる。一は昨年ユリウス、マイル(Julius Mayr. Munch. med. Woch. Nr. 18 1928)の報告したもので、急性淋疾に伝染した六十二歳の男子である。此男に千九百十六年公安妨害の廉で逮捕せられんとした時、急に興奮状態に陥って食事に用ゆるメスで輪状に陰部を切り、そのため陰茎の全部と右の睾丸とを失ったものである。当今にては尿道口は、漏斗状の太約〇・三乃至〇・四密迷の深さにて陰嚢の最上部に開口し、恥骨枝の中央部には三個の海綿体を明かに触れ、之に触接すると著るしくその硬度を増すから勃起機能の具つてゐることが知れる。この男は自ら陰茎を断つた千九百十六年に先つこと六年前叩ち千九百十年までは結婚生活を送り、同年妻に死別したが、陰茎を切断してより以来十一年間、異性に接したことは無かったけれども、殆ど毎週一回時としては二三回も残存せる海綿体の勃起の下に夢精を来たすのが例となつてゐた。処が千九百二十七年のある日、夙に懇意の中となつてゐる売笑婦と邂逅して性交様の動作を行ひ快感の下に射精したが、その後一二日を経て尿道口より多量の膿汁を漏出するやうになった。それを鏡験すると、定型性の淋菌が証明せられた。

他の一例は同じく昨年エルツエー(Oelze. Deut. med. Woch. 43. 1928)の報告した五十四歳の男子である。この男は十歳の時、戯れに陰茎の根部に護謨輪を嵌めた処が、陰茎の著るしく腫大し遂に壊疽に陥つたがため之を切断するの己むなきに至ったものである。彼の語る処に依るに夙に妻を娶り今では三人の子の父となって居り、そして最終の性交を行ったのは千九百二十一年の十月だと云つてゐる。彼の診を請ひにきたのはその翌年の四月で黴毒に感染したがためであった。之を診査してみると、陰茎の遺残物と認むべきものを触れず。陰嚢には十ペンニツヒ貨大で帯褐赤色を呈せる硬いエロジオンが発生して尿道口の下部の左側の処に存在し、又た全身には種々の紅斑のある他、肛団及扁桃腺等にコンヂロー厶が認められた。

以上の二例は後天性に陰茎を失つた者でも淋病及黴毒に感染することを明示せるもので、前者に於ては尿道に、淋疾の伝染し、後者に於ては陰嚢に初期硬結を生じ次で第二期黴毒を来たしたのである。これに因んで聊か茲に附記したいことは陰茎を失ったにも拘はらず性的行為を演ずる者の尠からざるとである。ハスラム(Haslam. Lancet. 1828)は捕鯨船の水夫が外傷によって陰茎を失つたが、併しその外傷の治癒した後には却て性欲の著るしく亢盛するやうになつたことや、又た陰茎を全く断たれた一男子が象牙製の補器を用ひて異性に接したことなどを記述した。又たエルツヱー(Oelze. Deut. med. Woch. Nr. 43 1928)の記する処に依れば、埃及に関する書籍の中で、陰茎の無い男が特殊の性的動作をなすことのために有名であった由を書いたものがありしと云ふ。又た自ら陰茎を断つものに就てその原因を調べてみると、宗教的動機より之を行ふものが尠く無い。例之ば露国に於けるスコブツエン派の如きものである。グルト及パイル(Gouldu. Pyle.Anomalies and Curiosities. 1900)は、東洋及欧洲に於て宗教信仰上より陰茎を切断したものゝ実例を挙げた。又た精神病のために断根する者もある。カンプ(Camp. New Orleans Medical Journal. 1985 )は五十三歳の一独逸人がその陰部を盗み取らうとする仇敵につけねらはれてゐると云ふ追跡妄想より陰茎を切断して、その妄想せる追跡者に之を投げつけたことを記述した。