迷信と猥褻罪

変態性欲的行動及之に基因する猥褻罪は必ずしも先天性及後天性精神異常者の所為に出づるに限つたものでなく、往々迷信に基づくこともある。我国の俗諺に「初物を喰へば七十五日長命する」といふやうな迷信から未通の少女を犯したり或は千人の女に通ずれば現世利益ありとの迷信より乱倫の所行をなす者のあることは珍らしくもない事実であるが。欧州に於てもこれと同様の迷信があつて、処女を犯せば花柳病が治癒するとか或は生命が延びるとか或は処女の身体より出づる蒸発気は老人を若返らすとか云ふ迷信より少女を犯すものが尠く無い。所謂色情性児愛 Paedophilia erotica なるものは多くは這般の迷信に起因するのである。羅馬の古代に於て、少女、妊婦、黒奴の女等を犯すことによつて淋病の治療するといふ迷信の行はれたことは名医ガーレンの記述した処であるが、又た獣姦も淋病、徽毒を全治する方法として之を行ふ者のあることも周知の事実で、ボラツクの説に依れば、波斯国の医制は淋病を患ふるものに獣を犯さしめる風習があるといひ、又クローンフヱルドの蒐集した欧州の民間療法の中には前記の如く処女或は妊婦との性交によつて性病を治癒せんとする迷信のある外にもシユワーベン地方にては牝馬或は牝驢馬との獣姦が同じく性病を治療するとの迷信が行はれ、無智なる患者をして是等の猥褻罪を犯すに至らしめることが多い。その甚しきものに至てはアムシユルの報告せしが如く、自分の娘をも犯したものさへある。それは徽毒性潰瘍に罹れる一農夫が純潔なる少女と交ることによつて該病が治癒するといふ他人の説に唆かされたがためであうた。その娘は二三回許り無智無頓着なる老父の性的犠牲となつた後、ある大工と婚約を結び、彼に対して過去の罪を打ち明けて懺悔したことが図らずも世に知れて大評判となり、遂に近親相姦の罪を以て拘引せられ、父のアントンは十八ヶ月の禁錮、娘のローザは禁錮一ヶ月の刑に処せられた。

我国に於ても江戸時代には月経期の女性に接すると淋病が療えるといふ迷信が行はれた。『百人に淋病の薬ひとりあ。』といふ川柳は這般の消息を穿つたもので「百人」と云ふのは百人一首を指し、その中の女歌人赤染衛門をほのめかして月経に連想させたものである 江戸時代にても月経期の婦女は月経帯をつけたもので、それが『お馬』と呼ばれてゐたがため、月経を馬に擬して『淋病の薬、馬にも乗つてみる』『馬上のたゝかひ淋病の薬なり』といふ川柳もある。処女を犯せば性病が治療するといふ欧州民俗の迷信と好一対の迷信である。

ヒルト判事は十七歳の男子が八歳の幼女を強姦した一例を報告した。その動機は純潔の処女と交れば淋病が治療するといふ迷信であつた。彼は固より淋病の伝染性疾患たることを知つてゐたが、併し処女だけには伝染しないものと思ってゐた。それ故、彼は故意に自己の病気を少女に伝染せしめる積りで姦淫行為を演じたのではなく、全く俗間の迷信を真に受けてその悪性の淋疾を治せんがために八歳の幼女を犯したのであつた。

マグヌス、ヒルシユフヱルドは良家の一処女が妊娠して而も黴毒に罹つたものを診察したが、その病歴を訊き質して、彼女が嘗て一官吏に身をまかしたことが判然した。その自白によると、相手の官史は重症の徽毒にかゝつてゐたので、之を治療するには未通の少女と交るにありといふ考から、自分を挑んだがため善意を以て之に応じたといふのである。此の処女は性交の意義を知らず又男手の方でも無垢の少女には徽毒の伝染しないものと誤信してゐたのであつた。又ヘルウイツヒの記する所に依れば遺尿癖のために主家から解雇せられた一少年は七匹の野鼠に婦人の恥毛を加へて壺の中で焼き、それを内服すれば遺尿が全治するといふ俗信に動かされ、婦人の恥毛を得んがために白昼二人の婦人を凌辱した。そのため彼は強姦未遂罪の名の下に捕はれたが、併し性欲を満足せんがために凌辱したのではなく、たゞ恥毛をむしり取り或は截り取らんがための目的に出でたのであるから強姦未遂と目すべきものでなく、猥褻罪或は傷害罪に問ふべきものであることは固より論を竢たない。

古代の猶太人は老衰せる男子が年若き処女に接すれば元気を恢復し生命の延長することを信じ、ダビツト王の年老いて衣服を着ても身に暖たかさを感じないやうになつたがため、その従僕は処女を求めて王を看護せしめ又はこれと牀を同うして身体を暖むべき旨を勤めたことがある。這般の風習は古代の希臘羅馬にも行はれたが、近世に於ても和蘭の名医ボヱルハーヴエーでさへ、年老いたるアムテルダムの市長をして二人の処女の間に眠らしめ、これによりて元気勢力を恢復増加せしめたりと云ひ、又十八世紀の医家コーハウセンも百十五歳て世を去つた羅馬人ヘルミツブスに関する論文を公にしたが、この人は女学校の校長で妙齢の処女の間に生活した故長生きしたのであると云ひ、フーフエランドは更に之に追加して、『彼は朝夕毎に無邪気なる少女をしてその呼気を吹きかけしめ。それによりて生活力を増強せしめ得ることを保証してゐた』と記した。我国に於ても人の老境に及べばその活気の衰ふるのを防ぐがため、妙齢の女子をその傍に添ひ寝せしめる風習があつて昔の大名や富豪の間に行はれたが、今日に於ても現に之を行つてゐる老翁も稀でない。故人竹本摂津大掾が七十余歳の高老に達して元気の衰へた時、その妻が大掾に妙齢の処女を勤めたといふ話を聞いたこともある。此の如く妙齢の少女に接することが若返り手段と迷信せられてゐるがため、老人になつて猥褻姦淫行為の演ぜられることが尠く無いので、必ずしも老耄性痴呆に因る変態性欲的行為とは限らないのである、