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子おろし薬は中条の一手専売でなく、薬屋や医者にも之を売りてゐました。明和安永天明頃の京都の風俗を記述せる『見た京物語』の中に、自由丸といふ堕胎薬を販売せる薬屋のあったことが載せてあります。その文章に『所は慥かに覚えず。自由丸といふ薬の金看板、表に出してあり。その脇書に子を孕むこと妙なり、子を孕まんこと妙なり、とあり。このんの字はぬの字なるべし云々』とあります。これは京都に堕胎薬の看板掲げた者のあったことを記した文句ですが、江戸時代有名の戯作者で、売薬や化粧品をも製造販売してゐた式亭三馬なども『天女丸』といふ堕胎薬を製造して売ってゐました。その広告文に『月経不順を治す名方、懐妊を休む妙薬』とあって代価百二十四文と記し『月々の経水滯れば、さまざまの病となる故、早く之を用ひて通じさするがよし。いか程久しき不順もなほらぬこと無し。しげく子を産む人、この薬を用ひやうにて何ヶ年も懐妊せず。もはやよき頃と思はゞ薬を止むべし。その月より懐妊すること自在の奇方なり云々』とあって、堕胎薬なることを暗示して居ります、又た町医者の中には人知れず袂に此種の薬を忍ばせて妊婦の家に行き出療治をやった者のあったことは『向ふ通るのはお医者じゃないか、医者は医者でも薬箱を持たぬ。薬御用なら袂に御座る。それを一服煎じて飲めば蟲もおりるし、その子もおりる』と云ふ手まり唄の文句に徹して推知することが出来ます。