享保十八年版の『名物鹿之子』の中に掲げてある押書を見ますと、中条流の女医の家には白地に桝形を染め出した暖簾を下げてあります。これはその家標として特に世人の眼に立つやうにしたもので、暖簾を下げたところに普通の医家の表構と違った点があり、表看板には中条流婦人療治と書いてあります『老婆心話』に『中条流といへるば婦人科の療治のやうに思ひしに、月水早流しなど看板をかけ置き専ら子をおろすのみを近業とする者多し云々』とあります。