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水戸将軍徳川頼房が侍妾に光圀を妊ませた時、如何なる理由か、水にして了へと言はれたのを家臣の三木元次が、それを聞いて慨はしく思ひ、懐胎の妾を自分の屋敷に引き取って光圀を産ませ自分の子のやうに育てたので、光圀は三木のお蔭で堕胎の憂き目を免れたのでした。又た光圀其人も堕胎を実行させたことがあります。それは『桃源遺事』に『西山公、未だ御簾中の御沙汰もなかりし頃、御側近き女中に懐胎の人ありける(中略)若し堕胎のものあらば早速水になし申すべしと、かねかね堅く仰せられ候と記してあります。又た第十一代将軍徳川家斉も二人の子を堕胎させたといふ挿話があります。此の如く将軍家に於てさへ、堕胎を行はさせたのですから、表面上では之に対する取締があるものゝ大目に看過して犯行に対する刑目が長らくの間制定されなかつたのも、これ亦た偶然でありません。