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将軍や大名でも迷信や其他の事情で妾腹の子を堕胎させたことがあります。例之ば、第三代将軍家光の妾のお万の方は元は比丘尼であつたので、懐胎させなかったことが、『将軍外戚伝』に記してあります。『慶光院、お万の方と改め、有髪の形となって枕席に侍す。然も老中より内証ありて懐胎を禁ずる故、御君達は無し』とあります。それから第五代将軍綱吉の妾の阿具里は牧野備後守の妻であったのを強奪したのでしたから、これも亦た秘密を守るがために子を産ませなかったのです。