平安朝時代ばかりでなく、降て鎌倉時代、室町時代に至ても堕胎を犯罪として処罰した法令の出でたことはありません。公然としてそれが士庶間に行はれてゐたのでした。室町時代の末葉に天主教布教のために我国に渡航したフランソワーサビヱールは『日本は堕胎国、嬰児圧殺の残忍国』とまで述べて居り、又千六百五十二年刊行のモンタヌスの『日本艮族観』にも『日本婦人は僧侶と謀りて堕胎する者多く、偶ま生るれば之を窒息せしむる等、全く子女を愛するの念なし』とまで極論して居ります。是等外人の所説は如何に堕胎と子殺しとが公然盛んに行はれたかを物語るもので、それは要するに此の悪風に対する法律的及道徳的制裁の無かつたがためであります。