C

平安朝時代に於て堕胎の盛んに行はれたことは『日本風俗史』の著者が説いてゐるが如く、淫靡の風の盛んであつたのと、又た堕胎を罪悪と思はなかつたが為でありませうが、併し私の見る処では他に尚は一つの原因があつたらしく思はれるのであります。御存知の如く平安朝時代は奈良朝時代に引きつゞいて白由恋愛の盛んに行はれ、本能の満足、愛の享楽に憂き身をやつした時代でありますけれども、併し一旦夫婦関係を結んだ後は姦通を禁ぜられ、若し之を犯したものは、当時行はれた法律即ち『大宝令』の規定によつて男女共に二年の徒刑に処せられましたし、なはその上にも上古時代よりの風習として、夫婦約束を結んだものは、互ひにその下紐を結び合つて決して他人に解かせないと堅く約束する習ひがありました。『万葉集』に『菅の根の、ねもごろ君が結びたる、我が紐の緒を解く人はあらじ』又『二人して結びし紐を一人して吾は解きみじ君に逢ふ迄は』といへる和歌は実に這般の消息を語つてゐます。されば若し女が故なくしてその結んだ下紐を他の男に解かせて妊娠した場合には、当時の道徳律に背反した行為として相当の社会的制裁を受けねばなりませんから、秘密に堕胎を行った者も可なり多かつたことゝ想はれます。併し堕胎行為其者は当時にては別に悪徳とも罪悪とも認めて居られなかったことはB君のお説の通りであります。