大奥の女中ばかりでなく、大名屋敷の女中にも蔭間に親しんだ者も尠くなかつた、家風の厳重な藩邸では、奥女中は自由に外出して歓楽を恣にすることが出来ない処から、蔭間に女装させて自分の部屋に引き入れたこともあります。『甲子夜話』に、加賀侯の藩邸の奥女中が邸内に歌舞伎狂言の催うしのあつた時、蔭間に女装させて引入れたことが露顕した事件のあつたことを記して『御殿住居の御慰みに歌舞伎を仰せつけられしが、いつも其者は女子たる故、来りても四五夜を滞在することなるが、その中に蔭間一両人雑りゐたるを、御附の男子の輩、その者の小便するところを見て知り云々』とあります。これは女装して藩邸に忍びこんだ蔭間が立小便をしたゝめに男子たることが発覚したのです。天保版の『春雨日記』といふ春本には、加賀藩邸にあつたやうな事実を村料とし、初めに女役者数人が殿中にて演劇の稽古をしてゐる絵を掲げ、次には此の女役者に混じてゐた美しい蔭間と一人の奥女中とが部屋にて狎戯する処を描き、その添へ書きに、『おや、まあ、お前は男かえ、よもやお前が男であらうとは夢にも知らなかつた』『女でなければ御殿のお奥へあがられませぬ故、女になつて居りますが、此様なことがあつては……』と記るしてあります。