男娼の行末は如何うなつたかと云ふに『風俗七遊談』に『芸を能くして器用なるは上りて大達者となり、その次は歌うたい又は三味線弾きともなり、無芸にて志のあしき者は下りて廻り髪格となる』とあります。有名な尾上松緑などは舞台子出身の名俳優で『芸を能くして器用なるは大達者となる』といふに当つて居ります。しかし尾上松緑を最後として舞台子の跡が絶えたことは文化十一年版の『塵塚談』に記してありますから、名俳優に上達したやうな男娼の極めて稀であつたことが分ります。