男娼の限度は十歳頃から二十歳位迄です。『叩子夜話』に或僧侶が男色のことをば竹の子といつたので、その謂はれを訊くと、成長すれば食べられないと答へたと云ふことが記るされてあります。二十歳を過ぐれは、モウ愛玩の値がなくなりますから、この歳までが蔭間の限度でした。要するに少年時代が彼等の花だつたのですが、但し二十歳以上になつても正業に復することが出来ないで、依然として売色したものもあつたことも無論です。たゞ今B君のお話になつた大和の仁王堂の飛子は二十四歳でした。『御前義経記』にも『二十をうち越し、三十までを若衆盛りにたとへ、それ過ぎて誠の念者と定め、男になつても見すてず、むつ言かはることなし』とありますが、併し此様なことは、まあ例外でしやう。『志道軒伝』にも『四十過ぎての振袖、頬髭のあと青ざめたるも見ゆ。これ等を玩ぶ人は好の至れるなり』とあります。