堺町、茸屋町の舞台子や蔭間は、元は劇場附近の芝居茶屋に同居して嫖客の相手になつてゐたのでしたが、芝居の隆盛に赴くに従ひまして彼等の人数も増加した結果、その一部分は芳町に移つて、格子戸に柿色の暖簾をさげた蔭間茶屋が軒をならべるやうになつたのでした。芝居茶屋は舞台子や蔭間の盛んに出入した魔窟で、明和版の『堺町茸屋町子供名寄』には市村座と中村座とへ出る舞台子の番附が載せてあります。