E

宮武外骨氏の説に依りますと、今も芸者が男性の名を附けて何太郎、何吉、何松、何助などゝ名乗るのは男娼影響の然らしめたものであると、雑誌「スコブル』の創刊号で述べられたことがあります。それは蔭間の盛んに流行した宝暦頃に、江戸深川の芸者屋で娘を蔭間風に仕立て、男髷に結つて羽織を着せ、名をも蔭間らしく、千代吉、鶴次、甚八などゝ呼ばせて蔭間の向かを張つたのが基となつて、今に至る迄も芸者に男名を附けてゐるのであると説かれてあります。