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野郎といつても、それは幕府の命名した賤称ですから、世間では舞台子とか色子とか言つてゐた。その中で最も容色の好いのを太夫子といつたものて、その花代は銀四十三匁、普通の舞台子は三十匁であつたと伝へられてゐます。『男色大鑑』に『子供に始めて近づきになるも、芝居帰りを浜の水茶屋の嚊に呼びこませ、かりそめの盃して、声ある子には子唄を所望して思ふがまゝの遊興。その後の遊び仲間より集めて銀一両贈れば、釣髭のある男、太夫殿より礼に来て、唯今け千万忝けなき仕合せと、三つ指つきて長口上申したり云々』とあります。これを見ますと、客の求めに応じて茶屋に来り男色を売つたことが分かります。