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吉原や島原の遊女が見世を張つたり、道中をしたりして嫖客を惹きつけるのと同様に、野郎が舞台に立つのも、俳優としての技芸を見せるよりか寧るその容色を大勢の見物の前に見せて男色好きの人間を患きつけるがためであつた様な者も余程多かつたらうと思はれます。阪田市之丞と云ふ役者は踊りは極めて拙劣であつたが、容色が非常に美しいので、太夫子即ち第一流の少年俳優となることが出来たのてしたが、俳優としての技芸の拙劣なことは『野郎蟲』に『猪の水を泳ぐやうなこともありと評して居る位で、その踊りの化方か野猪の水泳ぎと形容せらるゝ程のまづさでも、舞台に立たねばその美しい容色を見せて男色好きの客人を惹きよせることが出来ませんから、肉を売らんがために舞台に立つたのでした。だから『浪花の田鶴』などにも『舞台を踏まねば若衆が売れず』と書いてあります。