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ところが間もなく花代が銀一枚(四十一二匁)に騰貴したのです。その原因も僧侶がさせたので、万治三年妙心寺の開山関山国師の三百五十忌の営まれた時、京都へ集つてきた諸国の僧侶が、少年俳優の色に耽溺したので、その花代が一時に騰貴したのです。『男色大鑑』に書いてあるやうに、眼鼻さへ附いて居れば、どんな野郎でも売れ切れたもんですから、需要供給の原則から花代が騰貴して銀一枚となつたのであります、それでも大繁昌を極めたので、昼夜に売り分けることゝなり。誰れ彼の別なく、凡て少年俳優の相場は昼夜銀四十四匁に定めたとあります。