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若衆といふ言葉が『若き衆徒』よりも出たことは『源平盛衰記』に叡山の僧衆が神輿を擁して宮閥に迫らんとする条下に『若き衆徒は何条是非にや及ぶべき、唯だ押し破つて陣頭へ入れ奉れと言ひけるを、物に心得たる大衆老僧は、さればこそ仔細あらんと思ひつゝにと云々』とあるによつても分ります。若き衆徒と老僧とを対立せしめてありますから、若衆といふ言葉が仏家より起つたことは明かで、源平時代の頃には若き僧侶をば若い衆徒と呼んでゐたのが、南北朝時代になつた頃にはそれを略して単に若衆と呼ぶやうになつたことゝ思はれます。『室町家御内書案』に『白山若衆等乱入南禅寺領云々』とするを見ますと、室町時代に入つても矢張り若き僧を若衆と称してゐたのが分ります。