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『雍州府志』を見ますと、寺院に仕事せる喝食といふ少年は、元は塞山拾得のやうな風態であつたが、室町将軍が禅宗に帰依して時々五山の寺院に来臨せられるので、喝食の中より容貌の美しいものを選び出して白粉臙脂をつけさせ、美服を装はしめて将軍に荼を献じ膳を供せしめ、その粧ひが殆ど婦人のやうであつたので、将軍も亦た之を寵せられ、僧侶の間にもこれに執着するものが出来て甚しく戒法に違ふやうになつたと記してあります。這般の事実から考へましても、寺の小姓や喝食の中には求法求道の念から寺院に入つたのではなく、C君の言はれたやうに人買ひや貧乏なために寺院に売り渡された美童の尠く無かつたことも容易に肯定されます。