それでは私から申上げます。男娼は江戸時代に於てこそ盛んに行はれたのですが、併しその起源に浙りますと、余程旧るいもので、夙に鎌倉時代より在つたのであります。この事は南方熊楠氏も説かれておりますが、鎌倉時代に出来た『続門葉集』といふ歌集―女なしの僧侶美少年とばかりの和歌をあつめた変態歌―集の序文の中に『何况辞木幡里駅馬、迷尋童郎之懇志。過粟陬之児店、咽向行旅之別恨』とあります。即ち粟陬野には美少年の男娼を抱へ置ける青楼、所謂『児店』といふのがあつて、その男色を愛する僧侶の別離の情を述べたものであります。平安朝時代以降僧侶が男色を嗜み、美少年に思ひをかけて不倫の愛欲に耽つたことは、北村季吟の『岩つゝじ』にあつめてある当時の僧侶達の恋歌に徴してその一斑を窺ひ知ることが出来ますが、そのため美童を誘拐する悪弊が起つてきたことは『今昔物語』の二十六巻に『児さまの美しかりつれば、京に上る人などの法師取らせんなど思ひけん、取りて遁げゝるにや云々』とあるを見ても判ります。思ふに鎌倉時代に粟陬野にあつたと云ふ児店は、男色を好む僧侶のために人買の手に誘拐せられ或は貧困より身を売つた美童の抱へ店であつたことゝ信せられます。
室町時代になりますと、純然たる男色を描写した種々の物語本、例えば『秋夜長物語』『松帆浦物語』『嵯峨物語』『鳥部屋物語』『幻夢物語』などが前後相次で刊行され、所謂『稚児物語部類』といふ名称の下に合巻せられてありますが、併しその大部分は僧侶公卿の美少年との同性愛を描いたもので、男娼のことは最早や見当りません。併し私の見る処では、寺院に小姓或は禿或は喝食と云ふ名の下に仕事してゐた美童の申には或意味に於て男娼と看做しても可い者もあつたでせう。公然或は公然の秘密に肉を売る男娼ではありませんが、人買ひの手にさらはれ或は貧乏のために身を寺院に売つて僧侶の慰みものになつたものも可なり多かつたことゝ思はれます。室町時代に出来た謡曲の中には、人買ひの物語を取材にしたものも尠くありません。『隅田川』『三井寺』『自然居士』『桜川』『隠岐之院』等は則ち是れです。人買の手にさらはれた者の中には今日の所謂監獄部屋の労働者のやうに酷使せらるゝ人夫や職人に売るれた者もあつたでせうし、又それが美少年なら、男色を好む僧侶に買ひとられたことは固より言ふ迄もありませんから…………