日本の男娼

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男娼とは、独逸語のMannliche Prostituirtenの訳語です。欧米及び支那の大都市には今日も可なり多く見受けられますが、我国に於ても江戸時代の天保の末頃までは、江戸、京都、大阪等の大都市にありまして同性愛を好む男子の相手となり不倫の醜業を営んでゐました。江戸幕府が所謂岡場所の私娼に対しては寸毫も仮借する処なく之を撲滅掃蕩するに努めたにも抱はらず、独りこの背天の売笑業者たる男娼だけは長い年月の間放任或は黙認の態度を取り、一代の賢相と称せられた白河楽翁でさへ、寛政の風俗改革には、芸者を始め、一切の隠売女を厳禁した位であるのに、男娼だけは之を黙認されたのは実に異様の感に打たれざるを得ません。これは如何なる理由であつたか、審かでありませんが、男色を尚んだ武士道の影響が男娼黙認の傾向をならしめたことゝ思はれます。処が天保十三年に至り、水野閣老は遂に男娼をも厳禁し、爾来殆どその跡を絶つことに相成りました。斯ういふことは夙に皆様方の御存知のことでありますが、先づ順序として一寸申上げた次第で…………さて是れより各自の所見をそれぞれ発表することに致します。就ては男娼の起源より御願ひ致しませう。